叡尊(えいそん)(Eison)

鎌倉時代中期の真言律宗の僧

生年:1201年(皇紀1861)建仁元年
没年:1290年(皇紀1950)正応3年8月25日
享年:90

父親:興福寺の学僧 慶玄
母親:藤原氏

字:思円(しえん)
謚号:興正菩薩(こうしょうぼさつ)

西大寺の中興開山
弟子:忍性・信空など

出身:大和国添上郡箕田里(現在の奈良県大和郡山市)

 叡尊(えいそん)は、鎌倉時代中期の真言律宗の僧

 戒律を復興し、奈良西大寺を復興する

 殺生を禁止し、慈善救済を行い、宇治橋の修築などを行った

【叡尊の歴史・経緯】

【叡尊ゆかりの地】

 <放生院
 宇治川沿い、宇治橋の南東にある寺院
 宇治橋修造の勅命を受けて、殺生禁断のために宇治川の網代を廃止させ、
 宇治川の浮島「塔の島」には、十三重石塔(重要文化財)を建てた
 高さ15.2mで、日本最大の石塔といわれる

【その他】

 <戒律の復興>
 34歳のとき、真言密教の僧の多くが堕落していることに疑問を抱き、その理由は戒律が保たれていないことにあるとして
戒律の復興を志す

 日本律宗の祖 鑑真が「四分律」を奉じたのに対して、叡尊は真言宗を開いた空海が重んじた「十誦律」を奉じている

 <慈善活動>
 自分だけの悟りではなく、衆生を全て救おうとし、広く授戒を授けた
 非人やらい病者など一人一人を文殊菩薩の化身に見立て斎戒を授け、米などの食糧や、浅鍋などのこじきの道具類が施行された
 宇治橋や道路などを整えたり社会事業に携わる

 <密教儀典>
 蒙古襲来(元寇)により、伊勢神宮石清水八幡宮、西大寺や四天王寺などに参拝し、蒙古軍撃退の祈祷を行った

 <大茶盛の創始者>


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