醍醐寺(だいごじ)は、伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ
豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた桜の名所
山上の上醍醐と、山下の下醍醐からなり、険しい山道で隔たれて徒歩で1時間以上かかる
上醍醐は、西国三十三所観音霊場第11番札所で、西国一険しい札所といわれる
上醍醐には、有名な名水「醍醐水」が今も湧き出ている
醍醐寺は、伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもち
境内全域が、国の史跡に指定されている
清滝宮拝殿(上)・薬師堂(上)・五重塔(下)・金堂(下)の4棟が国宝に、
開山堂(上)・如意輪堂(上)・清滝宮本殿(下)の3棟が重要文化財に指定されている
上醍醐は下醍醐から険しい山道で隔たれ、徒歩で1時間程要する
西国三十三所観音霊場で、一番険しい札所といわれる
下醍醐には、上醍醐とは対照的な絢爛な大伽藍が広がる
<総門>
<西大門(仁王門)>
1605年(皇紀2265)慶長10年
豊臣秀頼が金堂の再建の後に再建されたもの
仁王像(重要文化財)は、もとは南大門に祀られていたもの
<金堂(こんどう)(国宝)>
下醍醐にある醍醐寺の本堂
西大門の東に南面して建つ
創建時は「釈迦堂」と称されていた
金堂の中央には、薬師三尊像(中央:本尊 薬師如来、脇侍:日光菩薩・月光菩薩)が安置されている
薬師三尊の左右には、四方を守護する四天王立像が安置されている
桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺
926年(皇紀1586)延長4年
醍醐天皇の御願によりに創建される
五間四面、礼堂つきの大きさだった
1295年(皇紀1955)永仁3年と1470年(皇紀2130)文明2年の2度焼失する
1600年(皇紀2260)慶長5年
現在の金堂が、豊臣秀吉の発願により、紀州湯浅(和歌山県)の満願寺の本堂を移築したものといわれる
平安時代後期の遺構とされる
1908年(皇紀2568)明治41年8月1日 重要文化財に指定される
1954年(皇紀2614)昭和29年3月20日 国宝に指定される
<五重塔(ごじゅうのとう)(国宝)>
下醍醐、金堂の南にある、総高約38m
屋根の上の相輪は約13mあり、相輪が塔の1/3を占める
古式の五重塔で、相輪も大きく、内部は華やかに彩色されている
応仁の乱でも焼残った創建当初の唯一の建物
京都府に現存する最古(平安時代中期)の木造建築物
初層の壁画(国宝)は、平安時代のもの
両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流といわれる
その中の空海の肖像画は、空海が描かれた現存する最古のもの
三間五重塔婆、本瓦葺
936年(皇紀1596)承平6年
醍醐天皇の冥福を祈るため第一皇子 朱雀天皇が、醍醐天皇の一周忌に起工し、
20年後の952年(皇紀1612)天暦6年に完成
1897年(皇紀2557)明治30年12月28日 重要文化財に指定される
1951年(皇紀2611)昭和26年6月9日 国宝に指定される
1954年(皇紀2614)昭和29年から1959年(皇紀2619)昭和34年 解体修理が行われる
<清瀧宮本殿(せいりゅうぐうほんでん)(重要文化財)>
開山 聖宝が勧請した醍醐の守護神 清滝権現を祀っている
醍醐寺の総鎮守社として醍醐山上下にあり、清瀧宮拝殿(国宝)は、上醍醐にある
三間社流造、檜皮葺
1089年(皇紀1749)寛治3年 清滝宮が上醍醐に勧請される
1097年(皇紀1757)承徳元年
上醍醐に祀られていたものから分身を移し祀られる
1439年(皇紀2099)永享11年 本殿が再建される
文明の兵火により焼失
1517年(皇紀2177)永正14年 現在の本殿が再建される
1954年(皇紀2614)昭和29年9月17日 重要文化財に指定される
<不動堂・護摩道場>
不動明王を中心に五体の明王が安置されている
不動堂の前の護摩道場では、醍醐寺派修験道により柴燈護摩が焚かれる
<真如三昧耶堂>
949年(皇紀1609)天暦3年
朱雀天皇の御願により、法華三昧堂として創建される
1470年(皇紀2130)文明2年に焼失
1997年(皇紀2657)平成9年
現在の堂が、真如三昧耶堂として建立される
<祖師堂>
真言宗を開いた弘法大師 空海と、その孫弟子で醍醐寺を開創した理源大師 聖宝とが祀られている
1605年(皇紀2265)慶長10年9月
座主 義演准后により建立される
弘法大師の誕生日である6月15日には降誕会が行われる
<大伝法院>
日月門から奥の大講堂を中心とした、大林泉・弁天堂・地蔵堂・鐘楼・日月門・阿闍梨寮・伝法学院等の総称
1930年(皇紀2590)昭和5年
醍醐天皇一千年御忌を記念して山口玄洞居士の寄進により造築される
<大講堂>
石を積み上げた土台の上に立つ宝形造りの大きな建物
平安時代末期ごろに製作された醍醐寺最大の丈六の木造 阿弥陀如来坐像が祀られているほか、
大日如来坐像や深沙大将、大黒天や地蔵菩薩が安置されている
<弁天堂>
池の中の島に建つ朱塗り建物
弁財天が祀られている
紅葉の名所
<伝法学院>
仏道修行に志す者の錬成道場となっている
<鐘楼>
<成身院(じょうしんいん)>
上醍醐への登山口にある
昔は女性がここから上醍醐を遥拝したことから、「女人堂(にょにんどう)」と称される
本尊には、山上の准胝観音菩薩の分身が祀られている
現在の建物は、江戸時代初期の再建といわれる
本堂前には、山側から不動明王・理源大師・弥勒菩薩・役行者・地蔵菩薩が祀られている
<清浄水場>
女人堂の前にある手水場
五体の仏像が安置されている
<御千度石>
清浄水場の横に立っている石碑
この石碑と女人堂の間を千回往復すると、山上まで上り上醍醐寺に参拝したのと同じ功徳があるといわれる
<霊宝館(れいほうかん)>
国宝17点、重要文化財約4万点、10万点を超える寺宝が所蔵されている
彫刻・絵画・工芸・古文書など、日本の仏教史や美術史上貴重な資料が収蔵されている
<忠魂碑>
<黒門>
境内の東にある門
醍醐寺の5つの塔頭の門跡寺院
三宝院、一言寺、理性院、無量寿院、報恩院
1115年(皇紀1775)永久3年
醍醐寺第14世座主 勝覚僧正(しょうがくそうじょう)が、三宝院を創建
賢覚が、理性院を、聖賢が、金剛王院を創建して醍醐三流ができる
当初は、この五門跡住職が交代で醍醐寺座主となっていたが、
室町時代前期の満済以降は三宝院門跡が座主の地位を独占する
<三宝院>
上醍醐寺にある醍醐五門跡
応仁の乱の兵火で焼失するが、豊臣秀吉により再建される
庭園は、豊臣秀吉が自らが設計したといわれ桃山時代の名園で、国の特別史跡・国の特別名勝
桃山建築の書院造の代表的な遺構
<一言寺>
醍醐五門跡
<報恩院>
醍醐五門跡
<理性院>
醍醐五門跡
<無量寿院>
醍醐五門跡
<光台院>
御醍醐山伝法院学院
醍醐寺は、建造物、彫刻、絵画、書跡、工芸など数十万点もの文化財を所蔵し
そのうち、約4万点が国宝、重要文化財に指定されている
国宝は15件(仏像2件4躯・絵画6件・古文書4件・書跡典籍3件)
密教僧は、図像を描くことが修行として課せられており、多くの密教図像が残されている
<木造 虚空蔵菩薩立像(こくうぞうぼさつりゅうぞう)1躯(国宝)>
醍醐寺山内の塔頭 菩提寺に虚空蔵菩薩として伝えられた像
台座の蓮肉と天衣垂下部を含んで榧の一材より彫出されている
平安時代初期の製作といわれる
1909年(皇紀2569)明治42年9月21日 重要文化財に指定される
2015年(皇紀2675)平成27年9月4日 国宝に指定される
<木造 薬師如来及両脇侍像(やくしにょらい りょうきょうじぞう)3躯(国宝)>
上醍醐の薬師堂に祀られていたもの、現在は霊宝館に安置されている
中尊の薬師如来坐像は、左手に持っている薬壷(やっこ)はカボチャのような形をしているために「瓜形壷(うりがたつぼ)」と称される
光背には、高さ20cmほどの小さな6体の薬師如来が付いており、
本体と合わせて「七仏薬師(しちぶつやくし)」と称される
一木造漆、176.5cm
脇侍(きょうじ)は、日光菩薩と月光菩薩
平安時代の作
1902年(皇紀2562)明治35年7月31日 重要文化財に指定される
1953年(皇紀2613)昭和28年11月14日 国宝に指定される
<木造 薬師如来および両脇侍像(重要文化財)>
金堂の中央に醍醐寺の本尊の薬師如来坐像、脇侍に日光菩薩・月光菩薩が安置されている
平安時代初期の檀像彫刻を模した鎌倉時代初期の復古調
<木造 弥勒菩薩坐像(重要文化財)>
三宝院の本堂に安置されている
快慶の作
<木造 不動明王坐像(重要文化財)>
快慶の作
<木造 理源大師坐像(重要文化財)>
開山堂に安置されている
寄せ木造
鎌倉時代に開山堂が再建されたときに新たに作製されたもの
開山堂の建立当初は、醍醐寺一世 観賢座主の自作のものが安置されていたが焼失してしまった
<木造 金剛力士立像(重要文化財)>
西大門(仁王門)に安置されている
1134年(皇紀1794)長承3年
仏師 勢増・仁増によって作製されたもの
もとは南大門に祀られていたもので、体内の墨書・納札等に南大門から移された経緯などが記されている
<木造 五大明王像(重要文化財)>
三宝院の護摩堂に安置されていたもの
<木造 五大明王像(重要文化財)>
五大堂に安置されている
<木造 阿弥陀如来坐像(重要文化財)>
<木造 千手観音立像(重要文化財)>
<木造 如意輪観音坐像(重要文化財)>
<木造 地蔵菩薩立像(重要文化財)>
<木造 不動明王坐像(重要文化財)>
<木造 吉祥天立像(重要文化財)>
<木造 帝釈天騎象像(重要文化財)>
<木造 閻魔天像(重要文化財)>
<銅造 阿弥陀如来坐像(重要文化財)>
<紙本著色 絵因果経1巻(国宝)>
釈尊(釈迦)の生涯と前世での修行の物語を説いた伝記に絵が付けられた経典
軸付には「月七日写書生従八位」の九字が残されている
奈良時代の作
報恩院に残されていたもの
1951年(皇紀2611)昭和26年6月9日 国宝に指定される
<絹本著色 閻魔天像(えんまてんぞう)1幅(国宝)>
鎌倉時代の作
1956年(皇紀2616)昭和31年6月28日 国宝に指定される
<絹本著色 訶梨帝母像(かりていもぞう)1幅(国宝)>
鎌倉時代の作
三宝院に残されていたもの
1955年(皇紀2615)昭和30年6月22日 国宝に指定される
<絹本著色 五大尊像(ごだいそんぞう)5幅(国宝)>
鎌倉時代の作
1955年(皇紀2615)昭和30年6月22日 国宝に指定される
<絹本著色 文殊渡海図(もんじゅとかいず)1幅(国宝)>
鎌倉時代の作
報恩院に残されていたもの
1955年(皇紀2615)昭和30年6月22日 国宝に指定される
<板絵著色 五重塔初重壁画(ごじゅうのとうしょじゅうへきが)18面(国宝)>
立体的に配置して描かれている
一つ書:両界曼荼羅図(心柱覆板絵4面、羽目板絵7面)
一つ書:真言八祖像(羽目板絵7面)(善無畏を欠く)
附指定:両界曼荼羅図(旧四天柱絵2本、羽目板絵断片4面)
951年(皇紀1611)天暦5年10月
五重塔の竣工と共に描かれたもの
1976年(皇紀2636)昭和51年6月5日 国宝に指定される
<金地著色 舞楽図 二曲屏風一双(重要文化財)>
俵屋宗達の代表作
<金地著色 扇面散図 二曲屏風一双(重要文化財)>
俵屋宗達の筆といわれているもの
<紙本墨画 芦鴨図 二面衝立(重要文化財)>
俵屋宗達の筆
<絹本著色 大日金輪像(重要文化財)>
98.2×60.9cm
<絹本著色 大日金輪像(重要文化財)>
96.4×83.3cm
<絹本著色 満済像(まんさいぞう)(重要文化財)>
土佐行広(とさゆきひろひつ)の筆
縦95.5cm X 横50.0cm、掛幅装 画絹一副一鋪
1434年(皇紀2094)永享6年
病床の満済が、土佐行広に描かせ、自ら著賛した寿像
<絹本著色義賢像(ぎけんぞう)(重要文化財)>
縦92.6cm X 横40.5cm、掛幅装 画絹一副一鋪
満済の後任だった義賢が、最晩年に後任への付法の証として準備したといわれる
広周の筆といわれる
<絹本著色義堯像(ぎぎょうぞう)(重要文化財)>
縦90.2cm X 横41.4cm、掛幅装 画絹一副一鋪
1585年(皇紀2245)天正13年
後任の義演の命で、この像容に描き直された再興像といわれる
<絹本著色義演像(ぎえんぞう)(重要文化財)>
縦95.5cm x 横49.3cm、掛幅装 画絹一副一鋪
1627年(皇紀2287)寛永4年
後任の覚定の命により描かれた遺像
<絹本著色覚定像(かくじょうぞう)(重要文化財)>
縦94.4cm X 横41.6cm、掛幅装 画絹一副一鋪
1686年(皇紀2346)貞享3年に修復されている
満済像の1434年(皇紀2094)永享6年の像容が伝承され規範とされたことを示す作例
上記5幅
室町時代前期から江戸時代前期にかけて代々三宝院門跡を務めた5名の肖像画
いずれも、向かって斜め右を向いて上畳に座っている
黄地に金の桐唐草文様の袍を頭の背後で広襟を山形に立てて着し、
同色同文様で襞のある裳に、蜀紅錦の袈裟と横被をつけ、右手に金剛杵を持ち、両手で白い数珠を繰り、
上畳の前に緑地に金の牡丹唐草文様の沓を置く姿で描かれている
衣文線の位置や形状、色紙形の位置を含めて同じ像容に整えられている
上畳は、准三后宣下を受けた3僧は繧繝縁に、残り2僧は高麗縁に描かれている
強い一体性がある作例で一体的に評価されるもの
2020年(皇紀2680)令和2年9月30日
5幅を1件として重要文化財に指定された
<紺絹金泥 六字経曼荼羅図(重要文化財)>
<絹本著色 阿弥陀三尊像(重要文化財)>
<絹本著色 虚空蔵菩薩像(重要文化財)>
<絹本著色 地蔵菩薩像(重要文化財)>
<絹本著色 普賢菩薩延命像(重要文化財)>
<絹本著色 弥勒菩薩像(重要文化財)>
<絹本著色 愛染明王像(重要文化財)>
<絹本著色 金剛夜叉明王像(重要文化財)>
<絹本著色 大威徳明王像(重要文化財)>
<絹本著色 大元帥明王像(三十六臂、八臂、四臂)3幅(重要文化財)>
<絹本著色 毘沙門天像(重要文化財)>
<絹本著色 五秘密像(重要文化財)>
<絹本著色 山水屏風 六曲屏風一隻(重要文化財)>
<絹本著色 仁王経曼荼羅図(重要文化財)>
<絹本著色 般若菩薩曼荼羅図(重要文化財)>
<絹本著色 伝釈迦曼荼羅図(重要文化財)>
<絹本著色 虚空蔵曼荼羅図(重要文化財)>
<絹本著色 弥勒曼荼羅図(重要文化財)>
<絹本著色 両界曼荼羅図(重要文化財)>
<絹本著色 六字経曼荼羅図(重要文化財)>
<絹本著色 十巻抄(第十巻補写)(重要文化財)>
<絹本著色 調馬図 六曲屏風一双(重要文化財)>
<紙本墨画 不動明王像 5幅(重要文化財)>
<紙本墨画 密教図像 39点(明細は後出)(重要文化財)>
<後宇多天皇宸翰当流紹隆教誡(しんかんとうりゅうしょうりゅうきょうかい)(三通)1巻(国宝)>
鎌倉時代のもの
1952年(皇紀2612)昭和27年3月29日 国宝に指定される
<後醍醐天皇宸翰天長印信(ごだいごてんのうしんかんてんちょういんじん)(蝋牋)1巻(国宝)>
1339年(皇紀1999)延元4年/暦応2年6月16日
後醍醐天皇の宸翰
1951年(皇紀2611)昭和26年6月9日 国宝に指定される
<理源大師筆処分状(りげんだいしひつしょぶんじょう)1巻(国宝)>
907年(皇紀1567)延喜7年6月2日
理源大師 聖宝の筆
1959年(皇紀2619)昭和34年6月27日 国宝に指定される
<狸毛筆奉献表(りもうひつほうけんひょう)1巻(国宝)>
弘法大師の筆といわれる
寛永二年六月十九日(1625年(皇紀2285)寛永2年)の義演の奥書がある
1952年(皇紀2612)昭和27年3月29日 国宝に指定される
<宋版一切経(そうはんいっさいきょう)6,102帖 (国宝)>
中国 南宋時代の一切経(仏教経典を網羅的にまとめた集大成)
経箱604合に収められてる
中国 福州で開版された東禅寺版と開元寺版からなる
弘安七年書写の奥書がある
1195年(皇紀1855)建久6年の重源の寄進
1198年(皇紀1858)建久9年の銘の経箱もあり複数にわたって寄進されたといわれる
1284年(皇紀1944)弘安7年 書写される
1964年(皇紀2624)昭和39年1月28日 重要文化財に指定される
2017年(皇紀2677)平成29年9月15日 国宝に指定される
一つ書:藤原俊成筆本1帖
一つ書:冷泉為相筆本1帖
<紙本墨書 醍醐寺文書聖教(もんじょしょうぎょう) 69,393点(国宝)>
醍醐寺にまとまって残されている聖教類と多岐にわたる文書
奈良時代から明治時代のもの
2000年(皇紀2660)平成12年6月27日 重要文化財に指定される
2013年(皇紀2673)平成25年6月19日 国宝に指定される
<大日経開題(だいにちきょうかいだい)1巻(国宝)>
空海の直筆
「大毘廬遮那成仏神変加持経(大日経)に記されている一切智々(絶対の智恵)を得る方法とその根拠を、
空海が解説した書
1951年(皇紀2611)昭和26年6月9日 国宝に指定される
<紺紙金泥 般若心経 (重要文化財)>
後奈良天皇宸翰
<醍醐花見短籍(だいごはなみたんざく)1帖131葉(重要文化財)>
豊臣秀吉や一座の各筆
<石燈籠(重要文化財)>
上醍醐の清瀧宮本殿前にある
1285年(皇紀1945)弘安8年の銘がある
<孔雀経音義 真寂法親王撰 3帖(重要文化財)>
1111年(皇紀1771)天永2年の書写奥書がある
<諸寺縁起 18帖(重要文化財)>
うち3帖に1207年(皇紀1867)建永2年の奥書がある
<多羅葉記 心覚撰 3帖(重要文化財)>
1215年(皇紀1875)建保3年および1235年(皇紀1895)文暦2年の書写奥書がある
<大唐西域記 巻第十一、巻第十二 2巻(重要文化財)>
1214年(皇紀1874)建保2年の書写奥書がある
<仏制比丘六物図(重要文化財)>
1147年(皇紀1807)久安3年の書写奥書がある
<中阿含経 巻第十四残巻(重要文化財)>
759年(皇紀1419)天平宝字3年9月9日の高赤麻呂による写
<論語集解 巻第七(重要文化財)>
1268年(皇紀1928)文永5年の書写奥書がある
<随仏念誦要訣(重要文化財)>
平安時代中期の真言宗の僧 淳祐の筆
<菩提荘厳陀羅尼・無垢浄光根本陀羅尼・一切如来心秘密全身宝篋陀羅尼・千手千眼陀羅尼(重要文化財)>
1086年(皇紀1746)応徳3年の平安時代後期の真言宗の僧 勝覚の書写
<阿弥陀大真言 1巻(重要文化財)>
1086年(皇紀1746)応徳3年の平安時代後期の真言宗の僧 勝覚の書写
<醍醐寺新要録 22帖(重要文化財)>
桃山時代から江戸時代にかけての真言宗の僧 義演の自筆本
<東大寺要録 巻第一、二(重要文化財)>
1241年(皇紀1901)仁治2年の寛乗書写
<本朝文粋 巻第六残巻(重要文化財)>
1308年(皇紀1968)延慶元年の禅兼書写
<江談抄(重要文化財)>
1198年(皇紀1858)建久9年の成賢による奥書がある
<遊仙窟(重要文化財)>
1344年(皇紀2004)興国5年/康永3年の宗算による書写
<弘法大師廿五箇条遺告(重要文化財)>
後醍醐天皇宸翰および1338年(皇紀1998)延元3年/暦応元年の弘真よる奥書がある
<後宇多天皇宸翰御灌頂御諷誦(重要文化財)>
1307年(皇紀1967)徳治2年
<僧綱牒(重要文化財)>
908年(皇紀1568)延喜8年2月20日の平安時代前期の真言宗の僧 聖宝、観賢等署判がある
<東南院院主房起請(重要文化財)>
907年(皇紀1567)延喜7年2月13日
<義演准后日記 62冊(重要文化財)>
80代座主 義演准后の日記
二条城の築城のときの町家の立ち退きの様子などが記されている
<工芸品 金銅両界曼荼羅(重要文化財)>
<金銅仏具(如意、九鈷杵、五鈷鈴、金剛盤)(重要文化財)>
<線刻 阿弥陀五仏鏡像(重要文化財)>
<線刻 如意輪観音等鏡像(重要文化財)>
<鍍金輪宝羯磨紋戒体筥(重要文化財)>
<沃懸地螺鈿説相箱(いかけじらでんせっそうばこ) 一双(重要文化財)>
<螺鈿如意(重要文化財)>
<浄名経集註 巻第九(黄紙)(重要文化財)>
<法華経釈文 仲算撰 3帖(重要文化財)>
<理趣経 足利尊氏筆(重要文化財)>
<悉曇字母(飛雲紙金銀箔散料紙)(重要文化財)>
<醍醐雑事記 紙背久寿二年具注暦及文書(重要文化財)>
<醍醐雑事記 慶延記 15帖(重要文化財)>
<醍醐根本僧正略伝(重要文化財)>
<性霊集 法助准后跋 10帖(重要文化財)>
<賢俊日記 2巻(重要文化財)>
<満済准后日記 38冊(重要文化財)>
<五大力尊仁王会>
2月23日
1100年以上も続けられている法要
柴燈護摩を炊き上げて五大明王の功徳を讚える
直径約80cmの重さ約150kgの巨大な紅白の鏡餅を持ち上げる力比べが行われる
<豊太閤花見行列>
4月第2日曜
「豊臣秀吉の醍醐の花見」にちなみ、現在も全山を揚げての桜の花見会が開催される
豊臣秀吉や正室ねね、側室 淀などが登場する行列が境内を歩く
金堂前の特設舞台では、舞楽や朗詠、狂言などが披露される
<施餓鬼法要、醍醐山万灯供養会>
8月5日
参道におかれた500個の灯籠、奉納された600の提灯に灯が入り、
壮大な屋外大護摩 柴燈護摩(さいとうごま)を中心とした施餓鬼法要が厳修される
総門を入ると、桜の馬場を中心に植えられた、約1000本の桜の木がある桜の名所
3月中旬から4月中旬にかけて、
枝垂桜(シダレザクラ)・染井吉野(ソメイヨシノ)・山桜(ヤマザクラ)・八重桜(ヤエザクラ)などが順に咲き誇る
1598年(皇紀2258)慶長3年
80代座主 義演准后の日記によると
豊臣秀吉が、「醍醐の花見」のために畿内4ヶ国から桜の木を700本を集めたと記されている
境内には、桜の苗場跡もある
岐阜大や住友林業筑波研究所らの遺伝子解析によって、その桜のルーツが探られている
桜などのバラ科の植物は、自らの木の花粉とは交配しないことから親子関係が解析できる
三宝院の「土牛の桜」(推定樹齢150年)と傍らにある桜の木(推定樹齢100年)は、兄弟関係
霊宝館周辺と清瀧宮にある3本も兄弟関係にあることが判明
いろいろな場所から集められた桜を使って、枝を台木に接ぐ「接ぎ木」や、種子から育成された可能性が高いといわれる
<浄天院 劫蘊寺(じょうてん いんごううんじ)>
醍醐寺によって、地球の衛星軌道上に建立される計画だった
2024年(皇紀2684)令和6年12月18日
50kg級小型衛星「TATARA-1」に大日如来像と曼荼羅が搭載され、カイロスロケット2号機によって打ち上げられた
高度110.7kmまで到達するが、軌道投入は失敗する