浄土院(じょうどいん)は、千本今出川の近くに立つ小さな寺院
名水があり、「湯沢山 茶くれん寺(ゆたくさん ちゃくれんじ)」といわれる豊臣秀吉の故事が残る
<本堂>
阿弥陀如来坐像が安置されている
屋根には寒山・拾得像の陶製の像が乗せられている
<井戸>
名水の井戸
<木造 阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)1躯(重要文化財)>
平安時代後期の阿弥陀如来坐像
1096年(皇紀1756)嘉保3年12月26日
像内の背部に永長元年十二月廿六日始の銘がある
1942年(皇紀2602)昭和17年12月22日 重要文化財に指定される
<寒山像・拾得像>
本堂の屋根に乗っている陶製の像
向かって右側が寒山像で、巻き物を携えている
左側は、ほうきに乗った拾得像
いずれも桃山時代の陶工 樂家(千家十職の一つ)初代 長次郎の作といわれる
桃山時代
1587年(皇紀2247)天正15年10月1日
豊臣秀吉が、北野天満宮で大茶会を催す
豊臣秀吉は、大茶会の検分のためにたびたび北野へ足を運んだといわれる
そんな中、浄土院(当時は、寺領も現在の10倍はあったといわれる)に名水があることを知り、立ち寄り、お茶を頼まれた
しかし、庵主の尼僧は、客人が関白であることに驚き、かつ、茶人であることから、
下手にお茶を差し出しても文句を言われるだけと悟り、白湯(さゆ)を出した
豊臣秀吉は、尼僧が聞き間違えたかと、もう一度、お茶を頼んだ
ところが、尼僧は、もう一度、そっと白湯を差し出した
頭の回転が早い豊臣秀吉は、二度にわたり白湯が出てきたことから、
「私がお茶を好きなことを知って、下手にお茶を点てるより、わざと白湯を出したな」と察知して、
「お湯ばかりでお茶をくれんともうよい、今後、寺の名を「湯たくさん茶くれん寺」とするがよい」と申されたそうである