地図情報
林丘寺(りんきゅうじ)は、修学院離宮の南部、中御茶屋に隣接する門跡尼寺
後水尾上皇第8皇女 朱宮光子内親王が、父親から賜った別殿(修学院離宮の楽只軒)を寺院にされたのが由来
<表門>
東福門院の院御所の切手御門(きりてごもん)(1677年(皇紀2337)延宝5年に建立)が移築された
<本堂>
上段地にある
本尊の聖観音菩薩が祀られている
1682年(皇紀2342)天和2年
東福門院の院御所が寄進され、本堂、鐘楼などが建立された
<開山堂>
上段地にある
開山 照山元瑶(後水尾天皇第8皇女 朱宮光子内親王)の木像が祀られている
普光院宮、普門院宮の画像も安置されている
<書院>
<庫裏>
<池泉鑑賞式庭園>
書院の東にあり、南北方向に広がる
東の山裾を利用しており、庭には高低差がつけられている
築山、滝石組、池泉が広がる
江戸時代前期の作庭
<檜垣塔(ひがきのとう)>
本堂奥の裏庭の築山の上にある
庭内にある朝鮮式の三重塔婆
高さ2.7m、凝灰岩製
基礎、方形の軸部があり柱型の刻みがある
桃山時代後期の作
武将 加藤清正が朝鮮より持ち帰ったともいわれる
葉山観音の登口付近にあり、現在の地に移されたといわれる
<望嵐亭(ぼうらんてい)>
東屋の石垣上に建てられている
茅葺
洛内外が一望でき、かつては嵐山も遠望できた
<鐘楼>
1682年(皇紀2342)天和2年の建立
梵鐘は、万福寺5世 中国人僧 高泉性潡(こうせんしょうとん)の作
<白侘助>
後水尾天皇の遺愛といわれる椿
<聖観音菩薩立像>
本堂の本尊
平安時代前期の園城寺(三井寺)開祖 円珍の作といわれる
開山 照山元瑶により、林丘寺に遷された
<観音菩薩騎龍図>
開山 照山元瑶の筆
<掛花図屏風 六曲一双>
美しい色彩で花が彩られている
朱宮光子内親王(開山 照山元瑶)の生花の抛入(なげいれ)の作品を写したもの
<紙本墨書 林丘寺御手鑑(りんきゅうじてかがみ)宸翰貼交(しんかんはりまぜ)1帖(重要文化財)>
江戸時代の書跡
1905年(皇紀2565)明治38年4月4日 重要文化財に指定される
附指定:御手鑑目録 一冊
<扁額「楽只軒」>
後水尾上皇の筆
<後水尾天皇宸翰>
<霊元天皇宸翰>
<修学院離宮の中御茶屋>
林丘寺の南に隣接する
1885年(皇紀2545)明治18年
林丘寺の境内だった約半分(2300坪)が宮内省に返上されたとき、
その境内にあった楽只軒(らくしけん)・客殿・表総門がそのまま残され、中離宮(中御茶屋)の建物として残されている