林丘寺(りんきゅうじ)
(RinkyouJi) 京都通メンバ
所在地:京都市左京区修学院林ノ脇 修学院離宮     卍地図情報卍

臨済宗天龍寺派の門跡尼寺

山号:聖明山

本尊:聖観音菩薩

創始:1680年(皇紀2340)延宝8年

開山:照山元瑶(しょうざんげんよう)(後水尾上皇第8皇女 朱宮光子内親王)

通称:音羽御所、朱宮御所(あけのみやごしょ)

重要文化財:1件(書跡典籍)

 林丘寺(りんきゅうじ)は、修学院離宮の南部、中御茶屋に隣接する門跡尼寺

 後水尾上皇第8皇女 朱宮光子内親王が、父親から賜った別殿(修学院離宮の楽只軒)を寺院にされたのが由来

【林丘寺の歴史・経緯】

【林丘寺の伽藍】

 <表門>
 東福門院の院御所の切手御門(きりてごもん)(1677年(皇紀2337)延宝5年に建立)が移築された

 <本堂>
 上段地にある
 本尊の聖観音菩薩が祀られている
 1682年(皇紀2342)天和2年
 東福門院の院御所が寄進され、本堂、鐘楼などが建立された

 <開山堂>
 上段地にある
 開山 照山元瑶(後水尾天皇第8皇女 朱宮光子内親王)の木像が祀られている
 普光院宮、普門院宮の画像も安置されている

 <書院>
 <庫裏>

 <池泉鑑賞式庭園>
 書院の東にあり、南北方向に広がる
 東の山裾を利用しており、庭には高低差がつけられている
 築山、滝石組、池泉が広がる
 江戸時代前期の作庭

 <檜垣塔(ひがきのとう)>
 本堂奥の裏庭の築山の上にある
 庭内にある朝鮮式の三重塔婆
 高さ2.7m、凝灰岩製
 基礎、方形の軸部があり柱型の刻みがある
 桃山時代後期の作
 武将 加藤清正が朝鮮より持ち帰ったともいわれる
 葉山観音の登口付近にあり、現在の地に移されたといわれる

 <望嵐亭(ぼうらんてい)>
 東屋の石垣上に建てられている
 茅葺
 洛内外が一望でき、かつては嵐山も遠望できた

 <鐘楼>
 1682年(皇紀2342)天和2年の建立
 梵鐘は、万福寺5世 中国人僧 高泉性潡(こうせんしょうとん)の作

 <白侘助>
 後水尾天皇の遺愛といわれる椿

【林丘寺の寺宝】

 <聖観音菩薩立像
 本堂の本尊
 平安時代前期の園城寺(三井寺)開祖 円珍の作といわれる
 開山 照山元瑶により、林丘寺に遷された

 <観音菩薩騎龍図>
 開山 照山元瑶の筆

 <掛花図屏風 六曲一双>
 美しい色彩で花が彩られている
 朱宮光子内親王(開山 照山元瑶)の生花の抛入(なげいれ)の作品を写したもの


 <紙本墨書 林丘寺御手鑑(りんきゅうじてかがみ)宸翰貼交(しんかんはりまぜ)1帖(重要文化財)>
 江戸時代の書跡
 1905年(皇紀2565)明治38年4月4日 重要文化財に指定される
 附指定:御手鑑目録 一冊

 <扁額「楽只軒」>
 後水尾上皇の筆

 <後水尾天皇宸翰>
 <霊元天皇宸翰>

【その他】

 <修学院離宮の中御茶屋>
 林丘寺の南に隣接する
 1885年(皇紀2545)明治18年
 林丘寺の境内だった約半分(2300坪)が宮内省に返上されたとき、
 その境内にあった楽只軒(らくしけん)・客殿・表総門がそのまま残され、中離宮(中御茶屋)の建物として残されている

【林丘寺へのアクセス】

 市バス 修学院離宮道 徒歩約20分

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