湯本文彦(ゆもとふみひこ)(Fumihiko Yumoto)

明治時代・大正時代の歴史家

生年:1843年(皇紀2503)天保14年6月7日
没年:1921年(皇紀2581)大正10年9月25日
享年:79

父親:湯本信好(鳥取藩士)
幼名:増之助
号:鉄宇、墨囚窟、芳邨舎、碧雲湖館

称号:正七位勲六等

出身:因幡国邑美郡鳥取

 湯本文彦(ゆもとふみひこ)は、明治時代・大正時代の歴史家

 京都府に勤め、平安遷都千百年紀念祭の付帯事業の「平安通志」編纂委員会主事を担当

 京都帝室博物館学芸委員にもなり、平安京の再現などを研究をした

【経緯】

【著書】

 <平安通志
 60巻、京都市参事会の編纂・発行
 1895年(皇紀2555)明治28年
 平安遷都千百年紀念祭の付帯事業の「平安通志」編纂委員会主事を担当

 東寺南大門と春日小路以北の堀川を基準に、1/8,300の京都市街図上に平安京を再現し、著名な寺社・邸宅の位置を比定する


 <平安京旧址実測全図>
 1895年(皇紀2555)明治28年

 <和気公紀事>
 1899年(皇紀2559)明治32年

 <京都府寺誌稿>
 1902年(皇紀2562)明治35年

 <京職沿革略考>
 1907年(皇紀2567)明治40年

 <京都府愛宕郡村志(洛北誌)>
 1911年(皇紀2571)明治44年

【ゆかりの地】

 <湯本文彦邸宅
 相国寺の旧境内地にある和風住宅
 湯本文彦居宅として建築された
 木造平屋建、桟瓦葺
 北側の玄関を入ると2室の2畳間がある
 東側には、床を備えた8畳間、南側には真珠庵の庭玉軒を移したといわれる茶室がある
 西側には、中廊下があり、その北側には、浴室や納戸、南側には、4畳半間と6畳間がある
 4畳半間の床柱には、浄瑠璃寺の古材といわれる丸柱が用いられ、床廻りから離れたところに付書院がある
 1903年(皇紀2563)明治36年
 上棟され、転居してくる
 湯本文彦が「平安通志」の編纂に取組んだゆかりの場とされる


【京都検定 第17回1級】

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