大極殿跡(だいごくでんあと)

所在地:京都市上京区千本丸太町上ル   地図情報

大内裏(平安宮):正庁「朝堂院」の北端中央にある正殿

大きさ:東西11間、南北4間、単層(1度目の建て替えの後)

 大極殿(だいごくでん)は、国家の重要儀式が行われた正庁「朝堂院」の北端中央にある正殿

 即位の礼、毎年の朝賀(ちょうが)、斎会(さいえ)など国家の最も重要な儀式が行われた

 大内裏(平安宮)の中でも最も大事な建物であったといわれる

 千本丸太町を上がった内野児童公園に「大極殿遺跡」の石碑がある
 石碑を桜の花が取り囲むように咲く

【大極殿の歴史・経緯】



【大極殿】

 <大内裏(平安宮)>
 平安京大内裏は、平安京の北部の中央に位置する
 千本下立売を中心に東西1.1km、南北1.5kmの広大な地域にあった

 大内裏には、朝堂院・豊楽院・内裏があり、周囲に宮殿・官庁があった


 <朝堂院>
 大内裏の中心にあり、国の重要な儀式が行われた
 朝堂院には、大極殿・朝堂・朝集殿があり、東西約200m、南北約470m、全体が回廊で囲まれていた


 <大極殿(だいごくでん)>
 朝堂院の北端中央にあり、正殿とされる
 平安京では、南の朝堂と直接つながる構造となる
 大極殿は龍尾壇の上に建っており、境界には朱欄(朱色の手すり)が設けられ、
 朝堂と大極殿とは「龍尾道」と称される階段で往来された

 大極殿の後背には、「小安殿(こあどの)」と称される殿舎が軒廊(こんろう)でつながり、
天皇の出御のときに休憩所として利用された

 龍尾壇を昇った左右には「白虎楼」「蒼龍楼」と称される小楼閣が対で置かれた

 殿内には高御座が据えられ、天皇が政務を執ったり、即位の大礼や国家的儀式が行われた
 現在は京都御所紫宸殿に置かれている


 大極殿は、火災により2度、建て替えられている
 当初の大極殿は、出雲大社(島根県)や、東大寺大仏殿(奈良県)に匹敵する大建築だったといわれる
 重層(2階建て)だったともいわれる

 <「年中行事絵巻」>
 平安時代末期、後白河法皇の命で作られた
 大極殿は、東西11間、南北4間、単層で描かれている
 朱塗りの柱、瓦葺、入母屋造の屋根に金色の鴟尾を戴く大極殿が鮮やかに描かれている
 平安神宮大極殿や平城宮跡の大極殿復元事業で参考とされた


【大極殿ゆかりの地】

 <石碑「大極殿遺蹟」>
 千本丸太町交差点の北西すぐ
 内野児童公園内に大きな石碑が立っている

 1895年(皇紀2555)明治28年
 平安遷都千百年紀念祭にあたり、湯本文彦らにより平安京の実測が行われ、
大極殿の位置がこの地に定められ、京都市参事会により石標が建てられた

 その後の発掘調査により、
 この石碑のある辺りは、大極殿の北側の回廊のあった場所であることが判明
 大極殿の中心部は、千本丸太町交差点付近であると判明


 <大極殿跡の説明看板>
 千本丸太町交差点 北西角の歩道
 大極殿の中心部が、交差点付近であると判明している


 <朝堂院跡の説明看板>
 千本丸太町交差点 南東角の歩道


 <千本通
 平安京の中央を通るメインストリートの朱雀大路だった通り


 <平安神宮
 平安遷都千百年紀念祭において、
 平安京の朝堂院を8分の5の規模で再現されており、外拝殿が大極殿に相当する

【その他】

 <中国 大極殿>
 中国の道教では、天皇大帝の居所のことをいう
 「太極」とは、万物の根源、天空の中心を意味し、
 「大極殿」は、帝王が世界を支配する中心という意味がある

【大極殿跡へのアクセス】

 市バス 千本丸太町 すぐ


【京都検定 第2回3級】

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