三条実美(さんじょうさねとみ)(Sanetomi Sanjyou)

幕末維新・明治時代の公卿・政治家

生年:1837年(皇紀2497)天保8年2月7日
没年:1891年(皇紀2551)明治24年2月18日
享年:55

父親:三条実萬(正一位 右大臣)
母親:山内紀子(土佐藩主 山内豊策の娘)

諱:実美
幼名:福麿
号:梨堂(りどう)
位階:正一位
勲等:大勲位
爵位:公爵

出身:京都
お墓:護国寺(東京都文京区)

梨木神社の祭神

 三条実美(さんじょうさねとみ)は、幕末維新・明治時代の公卿・政治家

 尊皇攘夷派公家の中心的存在で、王政復古の功績により賞されている

 太政大臣、内閣総理大臣兼任、貴族院議員などを歴任する

 死の直前に正一位に叙され、現在のところ最後の叙位者

【三条実美の経緯】

【三条実美のゆかりの地】

 <梨木神社
 三条実萬・三条実美父子が祭神として祀られている
 1885年(皇紀2545)明治18年10月
 久邇宮朝彦親王の令旨により、三条家の邸宅跡の東に、三条実萬を祀るための社殿が創建され、別格官幣社とされる
 1915年(皇紀2575)大正4年
 大正天皇御大典のときに、三条実美が合祀される

 <妙法院
 八月十八日の政変のときの「七卿落ち」の舞台
 8月18日、三条実美ら尊皇攘夷派の公卿7人が妙法院の宸殿に集まり、長州藩藩兵に警護される中、協議をして
長州藩に下向することを決め、翌19日には、長州藩藩兵を伴い妙法院を出発する

 <琵琶湖疏水
 第1湖疏第3トンネル西口には、三条実美が揮毫した「美哉山河」の扁額が掲げられている

【その他】

 <時代祭時代行列
 維新志士列に、七卿落ちの7人が登場する


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