岩倉具視(いわくらともみ)
(Iwakura Tomomi) 京都通メンバ
岩倉具視(いわくらともみ)は、幕末維新明治維新時代の公家・政治家

生年:1825年(皇紀2485)文政8年9月15日
没年:1883年(皇紀2543)明治16年7月20日
享年:59

出身:山城国京都市
幼名:周丸(かねまる)
法名:友山

贈太政大臣・贈正一位・大勲位菊花大綬章
維新の十傑の一人

墓所:海晏寺(東京都品川区)

 岩倉具視(いわくらともみ)は、幕末維新明治維新時代の公家・政治家

 尊皇攘夷派の下級公家ながら孝明天皇の侍従となり、公武合体派として政治活動を行うようになり、
尊皇攘夷派から非難され、西賀茂や岩倉の地で蟄居生活を送るが、
復帰後に討幕派に転向し、王政復古のクーデターを画策、新政府において首脳陣としての重責を務める

 日本人では初めて癌告知を受け、日本政府による最初の国葬者となる

【岩倉具視の歴史・経緯】

【岩倉具視のゆかりの地】

 <嵐山
 明治時代
 岩倉具視により風致計画をたて、桜の植え付けが行われた

 <岩倉具視幽棲旧宅(左京区)(国の史跡
 岩倉具視に関する資料などが展示されている対岳文庫(登録有形文化財)がある

 <常照皇寺
 岩倉具視が、御所紫宸殿の「左近の桜」より株分けした「御車返しの桜」がある

 <西芳寺
 湘南亭(重要文化財)に、岩倉具視が匿われていたといわれる

 <実相院
 岩倉具視が一時期、ここに住んでいたといわれ、
 池の前の部屋で密談をした様子などが記された日記が多く残っている

 <霊源寺
 尊王攘夷派から、京都から退去するように天誅の脅迫などを受け、西賀茂に身を隠した

 <京都御所
 岩倉具視により、保存計画が策定される

【その他】

 <葵祭
 1883年(皇紀2543)明治16年
 明治天皇の旧儀復興の勅命により、岩倉具視が「賀茂祭旧儀再興ノ事」を提言する
 1884年(皇紀2544)明治17年
 賀茂祭は官祭(勅祭)となり、5月15日を祭日と定め勅使の行列も復活された


【京都検定 第1回3級】

49.明治4年(1871年)から中断していた葵祭の再興に尽力し、明治17年(1884年)から5月15日に行うようにしたのは誰か?

【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第15回3級】

【京都検定 第22回3級】

【京都検定 第23回3級】

【京都検定 第26回3級】

【京都検定 第2回2級】

【京都検定 第3回2級】

【京都検定 第6回2級】

【京都検定 第17回2級】

【京都検定 第3回1級】

【京都検定 第8回1級】

【京都検定 第10回1級】

【京都検定 第12回1級】

【京都検定 第14回1級】

【京都検定 第16回1級】

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