醍醐(だいご)は、伏見区北東部の地域
平安時代初期、醍醐寺が創建されたのが由来
桃山時代には、豊臣秀吉が自ら作庭を手がけた醍醐寺の塔頭三宝院において、大規模な花見が行われる
山科南部と接しており、山科と同一の生活圏・経済圏を共有し、伏見区中心部との繋がりよりも深いといわれている
<長尾天満宮>
醍醐の氏神さん
<火防稲荷神社>
醍醐寺の南西に位置し裏鬼門
<醍醐寺>
<三宝院>
<一言寺>
<赤間薬師堂>
<報恩院>
<光台院>
<落西地蔵堂>
<唯心寺>
<融雲寺>
<善願寺>
<太田垣蓮月仮寓跡>
<平重衡塚>
<方丈の庵跡>
<醍醐>
平安時代初期
修行の場を求めていた空海の孫弟子の理源大師 聖宝が、
笠取山で、湧いていた醍醐水を「醍醐味なるかな」と美味そうに飲む地主神に出会い草庵を創設したといわれる
聖宝により、笠取山の山頂付近を「醍醐山」と名付けられた
「醍醐」は、五味の一つ
牛乳を精製してつくったもので、最も美味とされ、病をなおす妙薬とされる
「醍醐味」とは、最高の味という意味で用いらる