了頓図子(りょうとんづし)

所在地:京都市中京区三条通室町通西入了頓図子町・衣棚町   地図情報

衣棚通(ころものたなどおり)の南端の別称

北端:三条通
南端:六角通

東側の通り:室町通
西側の通り:新町通

長さ:約100m

別記:了頓辻子

 了頓図子(りょうとんづし)は、中京区の室町通と新町通の間の、三条通から六角通へ抜ける路地

 桃山時代の茶人 広野了頓が、ここに邸宅(茶亭)を構え、邸内の南北通り抜けを許していた

【了頓図子の歴史・経緯】

【了頓図子】

 <名前の由来>
 桃山時代に茶人 広野了頓の屋敷内の小路であったため
 茶亭があり、屋敷内の南北の通り抜けを許していた

 明治維新まで
 六角通に面して表門があり「将軍御成門」と称されていた

 <広野了頓>
 桃山時代の茶人
 足利家代々の従臣 広野家の末裔
 剃髪して「了頓」と号する
 茶亭を構え、茶道の普及をしており、豊臣秀吉徳川家康とも交流があった茶人

 豊臣秀吉からは、茶を点じたことから280石の知行を賜ったといわれる
 徳川幕府からは、400石の知行を賜る

【了頓図子に関する書物】

 <「雍州府志」>
 江戸時代の地誌「雍州府志」にも記されている
 三条通の南室町と新町の間にある
 広野了頓の祖は、元足利家の従臣で、足利義晴・足利義輝の時に、土地を賜った
 末裔は、剃髪して「了頓」と号して、お茶を嗜み、茶亭を構え、常に釜を炉に置いて、
 人が来た時には、お菓子を出してお茶を点じてもてなしていた
 豊臣秀吉が姫路城にいたとき、入洛したときには、新町三条南の伊藤家の屋敷に宿泊していた
 了頓は、屋敷が近かったため、豊臣秀吉に来てもらい、お茶を点じて飲んでもらう
 豊臣秀吉は、了頓の志を感じて家領を賜った
 その由来で、この町を「了頓辻子」と号す
 と記されている

 <日記「言経卿記」>
 桃山時代の公卿 山科言経の日記「言経卿記」にも記されている
 1594年(皇紀2254)文禄3年5月11日
 徳川家康が了頓邸を訪れて、茶の湯を楽しんだ
 と記されている

 <洛中絵図>
 1637年(皇紀2297)寛永14年の洛中の実測図が描かれているものに、「りやうとんノ図子」と記されている

【了頓図子へのアクセス】

 地下鉄 烏丸御池駅 徒歩5分


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