京都の土地鑑(とちかん)(Feel of KYOTO)
京都の東西・南北の通りは、平安京が造都されるときに計画されて規定通りに形成され、
豊臣秀吉の都市改造政策により、その大路・小路を元に区画が整備され、
縦・横の道路で囲まれる区域は、正方形か短冊形になっている
市街地のある地点を標示するときには、そこに面している通りの名前を先に言い、
そこに近い交差する通りから「上ル」「下ル」か「東入ル」「西入ル」と言い示せば、容易にたどり着くことができる
「上ル」は、内裏が北の方角にあったことから「北に行くこと」を示すようになったといわれる
京都市街地は、北に行くほど標高が高くなっている
<口よせ草>
1636年(皇紀2296)寛永13年刊行の雑俳集
「九重は上がる下がるでむずかしい」と記されている
「九重」とは、「都」のこと
【京の通り名】
<丸竹夷>
東西に走る通りの名前を覚えやすいように単調な節で歌われる数え歌
<坊さん頭は丸太町>
丸太町通から松原通までの東西に走る通りの名前の戯れ歌
<堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)>
南北に走る通りを読み込んだ歌が、江戸時代前期に活躍した近松門左衛門の浄瑠璃に出てくる
【京都の地名】
京都には、千年以上の歴史の中で、故事や伝承、歴史事象に由来する地名が今も多い
また、既に最初の事由が失われたものや、発声音が転訛していったものも多い
<悪王子町(あくおうじちょう)>
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不明門通(あけずどおり)>
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化野(あだしの)>
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粟田口(あわたぐち)>
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一口(いもあらい)>
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太秦(うずまさ)>
<艮町(うしとらちょう)>
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閻魔前町(えんままえちょう)>
<生田口(おいたぐち)>
<黄檗(おうばく)>
<巨椋(おぐら)>
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御室(おむろ)>
<鶏冠井(かいで)>
<柏清盛町(かしわきよもりちょう)>
<樫原(かたぎはら)>
<帷子の辻(かたびらのつじ)>
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釜座通(かまんざどおり)>
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烏丸通(からすまどおり)>
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勧修寺(かじゅうじ)>
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衣笠山(きぬがさやま)>
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雲母坂(きららざか)>
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具足小路(ぐそくこうじ)>
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車折神社(くるまざきじんじゃ)>
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蹴上(けあげ)>
<神足(こうたり)>
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膏薬図子(こうやくのずし)>
<久我(こが)>
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御幸町通(ごこまちどおり)>
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直指庵(じきしあん)>
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鹿ヶ谷(ししがたに)>
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主計町(しゅけいちょう)>
<正面町(しょうめんちょう)>
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新京極(しんきょうごく)>
<新町(しんちょう)>
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直違橋(すじかいばし)>
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墨染(すみぞめ)>
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間人(たいざ)>
<糺ノ森(ただすのもり)>
<丁字風呂町(ちょうじぶろちょう)>
<貞安前之町(ていあんまえのちょう)>
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寺町通(てらまちとおり)>>
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天使突抜通(てんしつきぬけどおり)>
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栂尾(とがのお)>
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百々町(どどちょう)>
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半木の道(なからぎのみち)>
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椥辻(なぎつじ)>
<匂天神町(においてんじんちょう)>
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錦小路(にしきこうじ)>
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二帖半敷町(にじょうはんじきちょう)>
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納所(のうそ)>
<羽束師(はづかし)>
<髭茶屋町(ひげちゃやちょう)>
<罧原(ふしはら)>
<祝園(ほうその)>
<骨屋町(ほねやちょう)>
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堀出シ町(ほりだしちよう)>
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先斗町(ぽんとちょう)>
<槇尾(まきのお)>
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饅頭屋町(まんじゅうやちょう)>
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御陵(みささぎ)>
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深泥池(みぞろがいけ)>
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壬生(みぶ)>
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百足屋町(むかでやちょう)>
<物集女(もずめ)>
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社突抜町(やしろつきぬけちょう)>
<夢見坂(ゆめみざか)>
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了頓図子(りょうとんづし)>
【京都検定 第1回3級】
79.京都北区にある「衣笠山」は、天皇が夏に雪を見たいと言い出し、山全体に白絹をかけて覆い雪景色に見せたという故事から名付けられたという、その天皇は誰か?
80.京都市山科区にある「御陵」という地名の由来となった近くにある陵墓は、何天皇の陵墓か?
81.「丸竹夷二押御池…」と続く通り名の歌の中の「竹」は何通か?
93.北山通と北大路通の間にあり、京都府立植物園の西側に沿った桜並木で有名な散歩道の名前は?
99.かつて洛中の周囲に設けられた「京の七口」のうち、東海道の出入口は?
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