在原行平(ありわらのゆきひら)は、平安時代初期公卿・歌人
朝廷における要職や地方の国守などを歴任し、正三位 中納言まで昇進した有能な官僚だった
朝廷における要職や地方の国守などを歴任し、正三位 中納言まで昇進した有能な官僚だった
歌壇の中心的存在として活躍した
<小倉百人一首第16番>
「立ち別れ いなばの山の みねにおふる まつとし聞かば 今帰り来む」(中納言行平)
在原行平に因幡守に任ぜられ、地方官として赴任するときに詠んだ歌
惜別とともに待ち遠しい帰郷を詠ったといわれる
掛詞(ひとつの語句に2つ以上の意味を持たせる和歌の手法)が2ヵ所ある
「因幡」と「往なば」、「松」と「待つ」
<勅撰歌人>
勅撰和歌集に合計11首が入集されている
特に「古今和歌集」には4首が入集されている
後撰和歌集
「嵯峨の山 みゆき絶えにし 芹川の 千代のふる道 跡はありけり」
千代の古道を詠った歌
<在民部卿家歌合(ざいみんぶきょうけうたあわせ)(民部卿行平歌合)>
在原行平の自宅で行われた、日本で最初の歌合(うたあわせ)とされる
<大学別曹 奨学院>
在原行平が創設した在原氏の学問所
朱雀大路東・三条大路の北一町におかれた
<須磨琴(すまごと)(兵庫県重要無形文化財)>
一本の弦だけが張られた一弦琴
在原行平が、平安時代、須磨に流されたとき、寂しさを紛らわすために、
浜に打ち上げられた舟板に1本の弦を張って製作して奏でたといわれる
<行平鍋(雪平鍋)>
片手鍋
在原行平が、須磨で海女に塩を焼かせていた鍋から名付けられた
<松風村雨伝説>
在原行平が、須磨(現在の兵庫県神戸市)に配流されていたとき、
多井畑(たいはた)の村長の娘 もしほ・こふじの二人が、塩を作るために海岸へ汐汲に通っていたところ、
在原行平が、二人を見初め、「松風(まつかぜ)」「村雨(むらさめ)」という名を与え身近に召した
在原行平が、都に戻ることになり、海岸の磯馴松(そなれまつ)に自分の狩衣(かりぎぬ)と
烏帽子(えぼし)をかけて、二人には何もいわずに須磨を去っていった
残された二人は、草葺きの小屋で在原行平の無事を祈り続けたといわれる
松風と村雨が建てたといわれる観音堂は、現在、松風村雨堂(神戸市須磨区)として残されている
また、行平・松風・村雨・衣掛(きぬがけ)・磯馴(いそなれ)などの地名が残っている
<能の名曲「松風」>
松風村雨伝説をもとにした謡曲
<祇園祭の山鉾 鷹山>
在原行平が、光孝天皇の行幸で鷹狩りをする場面を題材としている
在原行平は、鷹狩の名手として同行しており、御神体の一つ鷹匠とされる
<等善寺の墓地>
在原行平のお墓とされてきたが、同じく中納言・因幡守だった橘行平の墳墓であることが確認されている