在原行平(ありわらのゆきひら)
(Yukihira Ariwara) 京都通メンバ
平安時代初期の公卿・歌人

生年:818年(皇紀1478)弘仁9年
没年:893年(皇紀1553)寛平5年7月19日
享年:76

父親:弾正尹 阿保親王(平城天皇の第一皇子)
次男
母親:不明
異母弟:在原業平
正室:不明
息子:在原遠瞻・在原友于・在原基平
娘:在原文子(清和天皇更衣)

官位:正三位 中納言
通称:中納言行平・在中納言・在民部卿
小倉百人一首:中納言行平

 在原行平(ありわらのゆきひら)は、平安時代初期公卿・歌人

 朝廷における要職や地方の国守などを歴任し、正三位 中納言まで昇進した有能な官僚だった

【在原行平の歴史・経緯】

【在原行平】

 朝廷における要職や地方の国守などを歴任し、正三位 中納言まで昇進した有能な官僚だった

 歌壇の中心的存在として活躍した


 <小倉百人一首第16番>
 「立ち別れ いなばの山の みねにおふる まつとし聞かば 今帰り来む」(中納言行平)

 在原行平に因幡守に任ぜられ、地方官として赴任するときに詠んだ歌
 惜別とともに待ち遠しい帰郷を詠ったといわれる

 掛詞(ひとつの語句に2つ以上の意味を持たせる和歌の手法)が2ヵ所ある
 「因幡」と「往なば」、「松」と「待つ」


 <勅撰歌人>
 勅撰和歌集に合計11首が入集されている
 特に「古今和歌集」には4首が入集されている

 後撰和歌集
 「嵯峨の山 みゆき絶えにし 芹川の 千代のふる道 跡はありけり」
 千代の古道を詠った歌


 <在民部卿家歌合(ざいみんぶきょうけうたあわせ)(民部卿行平歌合)>
 在原行平の自宅で行われた、日本で最初の歌合(うたあわせ)とされる


 <大学別曹 奨学院
 在原行平が創設した在原氏の学問所
 朱雀大路東・三条大路の北一町におかれた

【その他】

 <須磨琴(すまごと)(兵庫県重要無形文化財)>
 一本の弦だけが張られた一弦琴
 在原行平が、平安時代、須磨に流されたとき、寂しさを紛らわすために、
浜に打ち上げられた舟板に1本の弦を張って製作して奏でたといわれる


 <行平鍋(雪平鍋)>
 片手鍋
 在原行平が、須磨で海女に塩を焼かせていた鍋から名付けられた


 <松風村雨伝説>
 在原行平が、須磨(現在の兵庫県神戸市)に配流されていたとき、
 多井畑(たいはた)の村長の娘 もしほ・こふじの二人が、塩を作るために海岸へ汐汲に通っていたところ、
在原行平が、二人を見初め、「松風(まつかぜ)」「村雨(むらさめ)」という名を与え身近に召した
 在原行平が、都に戻ることになり、海岸の磯馴松(そなれまつ)に自分の狩衣(かりぎぬ)と
烏帽子(えぼし)をかけて、二人には何もいわずに須磨を去っていった
 残された二人は、草葺きの小屋で在原行平の無事を祈り続けたといわれる

 松風と村雨が建てたといわれる観音堂は、現在、松風村雨堂(神戸市須磨区)として残されている

 また、行平・松風・村雨・衣掛(きぬがけ)・磯馴(いそなれ)などの地名が残っている

 <の名曲「松風」>
 松風村雨伝説をもとにした謡曲


 <祇園祭山鉾 鷹山
 在原行平が、光孝天皇の行幸で鷹狩りをする場面を題材としている
 在原行平は、鷹狩の名手として同行しており、御神体の一つ鷹匠とされる


 <等善寺の墓地>
 在原行平のお墓とされてきたが、同じく中納言・因幡守だった橘行平の墳墓であることが確認されている


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