道鏡(どうきょう)

奈良時代の僧侶

生年:700年(皇紀1360)文武天皇4年
没年:772年(皇紀1432)宝亀3年4月7日頃
享年:73

俗姓:弓削
別称:弓削道鏡(ゆげのどうきょう)

出身:河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)
お墓:龍興寺(栃木県下野市)

 道鏡(どうきょう)は、奈良時代の僧侶

 女帝 称徳天皇(孝謙天皇の重祚)に寵愛され、天皇位を得ようとして道鏡事件を起こした

【道鏡の歴史・経緯】

【道鏡】

 俗称「弓削道鏡(ゆげのどうきょう)」
 弓削氏は、を製作する弓削部を統率した氏族

 孝謙上皇(後の称徳天皇)が病気となり、道鏡が、その看病して平癒したことで、寵愛を受けるようになる

 道鏡の弟 弓削浄人が、従二位 大納言にまで躍進するなど、道教一門で10人以上が五位以上に叙せられる
 僧侶である道鏡が政治に関与することに藤原氏らの反感が高まっていく

 天皇位を得ようとして道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件)を起こすが、
和気清麻呂により宇佐八幡宮の神託を受け、策略が暴かれる

 道鏡は、造下野 薬師寺別当(下野国)へ左遷(配流)される
 道鏡の親族4名 弟 弓削浄人と、その息子の広方・広田・広津も捕えられて土佐国に配流された

【その他】

 <護王神社狛猪>
 「日本後紀」によると
 和気清麻呂が、怪僧 弓削道鏡が皇位を奪おうとした策略を暴いたことで恨みをかい、アキレス腱を切られ足の不自由な体で
大隅国(現在の鹿児島県)に流される
 その途中、宇佐八幡宮の近くで、弓削道鏡が送った刺客に襲われそうになるが、そこに300頭ものイノシシが現れて、
和気清麻呂を取り巻き護り、宇佐八幡宮に案内をしたという


 <ドウキョウオサムシ>
 大阪・奈良の山中に生息する、体長に比して非常に大きな交接器を持つオサムシの一種
 道鏡の巨根説にちなんで俗称されている

 女帝 称徳天皇(孝謙天皇の重祚)に寵愛されたことで俗説ができた
 江戸時代には
 「道鏡は すわるとひざが 三つでき」「道鏡に 根まで入れろと 詔」という川柳が詠まれた


 <弓削神社(熊本市)>
 民話によると
 道鏡が失脚した後この地を訪れて、藤子姫という妖艶華麗な女性と出会い夫婦となり、
藤子姫の献身的なもてなしと、交合よろしきをもって、大淫蕩の道鏡が良き夫として安穏な日々を過ごした、といわれる


 <由義宮(大阪府八尾市)>
 道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件)の後、称徳天皇が、道鏡の出身地の若江郡弓削郷に建てた離宮
 行幸され、河内国を特別行政地域として「河内職」と改め、その長官河内大夫に藤原百川が任命された


 <姉妹都市>
 道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件)にゆかりのある大阪府八尾市(道鏡の出身地)・岡山県和気町(和気清麻呂の出身地)・
大分県宇佐市(宇佐神宮)が、相互に姉妹都市となっている

[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク