和気清麻呂(わけのきよまろ)(Kiyomaro Wake)

奈良時代末期から平安時代初期の貴族

生年:733年(皇紀1393)天平5年
没年:799年(皇紀1459)延暦18年2月21日
享年:67

父親:磐梨別乎麻呂(または平麻呂)
母親:不詳
姉:和気広虫(法均尼)
長男:和気広世

本姓:磐梨別(いわなしわけ)
改氏姓:藤野別真人、吉備藤野別真人、輔治能真人、和気宿禰、和気朝臣など

護王神社の祭神

官位:従三位(贈正三位、贈正一位)
官職:民部卿 兼 造宮大夫、美作国国造、備前国国造

出身:備前国(岡山県)
お墓:神護寺

 和気清麻呂(わけのきよまろ)は、奈良時代末期から平安時代初期の貴族

 桓武天皇平安京遷都を建言し、造宮大夫として平安京造りを推進した

 護王神社に祭神「護王大明神」として祀られている

【和気清麻呂の経緯】

【和気清麻呂のゆかりの地】

 <護王神社
 京都御所蛤御門の前にある
 祭神「護王大明神」として祀られている
 狛犬の代わりに、和気清麻呂が流罪になったときに助けられたイノシシにちなみ「狛猪」が置かれている

 <神護寺
 唐門をくぐったところに和気公霊廟がある
 和気清麻呂と姉 和気広虫が祀られていた護王神社跡

 <平安京をつくった人
 護王神社横の下長者町通の歩道に置かれた和気清麻呂を顕彰したオブジェ


【和気清麻呂の故事】

 <狛猪>
 「日本後紀」によると
 和気清麻呂が、怪僧 道鏡が皇位を奪おうとした策略を暴いたことで恨みをかい、アキレス腱を切られ足の不自由な体で
大隅国(現在の鹿児島県)に流される
 その途中、宇佐八幡宮の近くで、道鏡が送った刺客に襲われそうになるが、そこに300頭ものイノシシが現れて、
和気清麻呂を取り巻き護り、宇佐八幡宮に案内をしたという


 <護王神社絵巻
 護王神社烏丸通に面した玉垣に掲げられている絵巻
 和気清麻呂と姉 和気広虫の生い立ちや功績、道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件)、猪にまつわる故事などが語られている
 1998年(皇紀2658)平成10年10月
 「和気清麻呂公命千二百祭記念」と記されている


【その他】

 <十円紙幣>
 勤皇の忠臣と見なされており、戦前には十円紙幣に肖像が印刷された
 肖像は想像によるもの


【京都検定 第14回3級】

【京都検定 第8回2級】

【京都検定 第10回2級】

【京都検定 第6回1級】

【京都検定 第15回1級】

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