和気清麻呂(わけのきよまろ)は、奈良時代末期から平安時代初期の貴族
桓武天皇に平安京遷都を建言し、造宮大夫として平安京造りを推進した
護王神社に祭神「護王大明神」として祀られている
<護王神社>
京都御所の蛤御門の前にある
祭神「護王大明神」として祀られている
狛犬の代わりに、和気清麻呂が流罪になったときに助けられたイノシシにちなみ「狛猪」が置かれている
<神護寺>
唐門をくぐったところに和気公霊廟がある
和気清麻呂と姉 和気広虫が祀られていた護王神社跡
<平安京をつくった人>
護王神社横の下長者町通の歩道に置かれた和気清麻呂を顕彰したオブジェ
<狛猪>
「日本後紀」によると
和気清麻呂が、怪僧 道鏡が皇位を奪おうとした策略を暴いたことで恨みをかい、アキレス腱を切られ足の不自由な体で
大隅国(現在の鹿児島県)に流される
その途中、宇佐八幡宮の近くで、道鏡が送った刺客に襲われそうになるが、そこに300頭ものイノシシが現れて、
和気清麻呂を取り巻き護り、宇佐八幡宮に案内をしたという
<護王神社絵巻>
護王神社の烏丸通に面した玉垣に掲げられている絵巻
和気清麻呂と姉 和気広虫の生い立ちや功績、道鏡事件(宇佐八幡宮神託事件)、猪にまつわる故事などが語られている
1998年(皇紀2658)平成10年10月
「和気清麻呂公命千二百祭記念」と記されている
<十円紙幣>
勤皇の忠臣と見なされており、戦前には十円紙幣に肖像が印刷された
肖像は想像によるもの