地図情報
神谷太刀宮(かみたにたちのみや)は、京丹後市久美浜町の南西部、八幡山の山麓東にある神社
丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)が八幡山に創建した神谷神社と、
丹波道主命が祀られた太刀宮の2社が合祀されている
熊野郡に11座あった式内社(小社)の一つとされる
久美浜一区の氏神さん
10月の例祭は、久美浜一区の秋祭でもあり、丹後地方を代表する祭礼の一つとされる
<丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)>
太刀宮の主祭神
BC88年(皇紀573)崇神天皇10年
崇神天皇から地方の平定を任ぜられ、山陰・山陽・東海・北陸に派遣された四道将軍の一人
丹波道主命は、山陰道(後の丹波国・丹後国・但馬国一帯)を平定したのち、熊野に戻り、
熊野の豪族(現在の久美浜町小字川上に屋敷跡が残る)の娘 丹波河上麻須郎女(たにはかわかみのますのいらつめ)を妻とし、
第一子 日葉酢比売(ひばすひめ)が垂仁天皇の皇后となるなど、5人の娘を後宮に入れ権勢をふるい、
丹後地方の野を開き、国土万物の生成、人心の安定、殖産興業に務められたといわれる
丹波道主命が死去されたとき、熊野の人々により、御恩徳を慕び、久美谷川の清流にそった小谷の清地に、
佩帯されていた神剣「国見の剣(くにみのつるぎ)」を神魂(かみのみたま)として太刀宮が創建された
<八千矛神(やちほこのかみ)>
神谷神社の主祭神
大国主命と同一神とされる
<天神玉命(あまのかみたまのみこと)>
神谷神社の主祭神
<天種子命(あまのたねこ)>
神谷神社の主祭神
丹波道主命が、山陰道に派遣されるときに、
遂行成就と武運を祈願して、出雲から勧請された三柱
<神霊「国見の剣(くにみのつるぎ)」>
太刀宮の主祭神 丹波道主命が、常に腰に佩いていた剣
丹波道主命が死去されたのち、神魂(かみのみたま)として祀られた
現存していない
奈良時代 天平年間(729年~749年)に如意寺を創建した行基の記録に、
「太刀宮の宝剣、海中に沈没しあらん事を恐れ、漁夫に命じて網を以て探しむるに玉を得たり、
依て宝珠山如意寺を起す」とある
「くにみのつるぎ」が「久美浜」の地名の由来ともいわれる
<式内社>
神谷神社(かみたにのじんじゃ)が、熊野郡の小社11座の一つとされる
境内:1,676坪
京都府文化財環境保全地区に指定されている
境内は、明治時代に敷設された市道によって東西に分断されている
参道は、市道西側の磐座・八幡神社を正面にして、市道東側に南東にのびる
主要な社殿は、市道の東側、参道の北側にある
<鳥居(京都府登録文化財)>
市道東側の参道入口に立つ
1707年(皇紀2367)宝永4年の建立
<神門(京都府登録文化財)>
本殿の正面にある
四脚門、格天井、虹梁絵様
江戸時代後期の建立
<本殿(京都府指定文化財)>
桁行2間、梁行2間、向拝1間、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付、檜皮葺
四周に縁が設けられている
丹後地方では唯一の大社造
軒は尾垂木付の三手先組物、向拝柱上は連三斗を3段に組んで桁を受ける丹後地方に特有の手法が用いられている
1781年(皇紀2441)天明元年の建立
大工は、久美浜町本町の谷口長兵衛ら8人
<剣岩>
参道の横、祓所の間にある平たい巨石
神谷神社の創建のとき、丹波道主命は臣下に命じて、八千矛神を勧請するために良い場所を探させた
その臣下は、地相を占い、よい適地を、後に自分が住むために隠し、良地は無かったと報告した
このため神谷神社は、八幡山の神谷明神谷の山林の中の開けた平坦地に創建された
後にこのことが知れ、怒った丹波道主命に追われた臣下は大岩の陰に隠れる
丹波道主命が、斬りつけた刀が、大岩を真っ二つにしたといわれる
臣下は、和睦を申し出て、丹波道主命に大根を捧げて宴でもてなした
太刀宮が創建され、例祭では、大根が奉じられることとなったといわれる
<祝詞殿>
切妻造、檜材向欄付、檜皮葺
<中門兼拝殿>
切妻造、欅材、檜皮葺
<舞殿>
梁行2間、桁行6間
<假殿>
梁行1間、桁行1間半
<神庫>
梁行1間半、桁行2間
<参考館(旧久美浜県庁舎御玄関棟)(京都府指定文化財)>
境内の南部にある
郷土研究の古文書や古器物など歴史的な史料が収集されている
切妻造、一部入母屋造、桟瓦葺
1870年(皇紀2530)明治3年
久美浜代官所跡地に、久美浜県庁舎の御玄関棟として建立される
久美浜県解体後、移築されて豊岡県庁として使用される
1923年(皇紀2583)大正12年
神谷神社境内に移築され「太刀宮考古館」と称された
<京都府文化財環境保全地区>
八幡山麓一帯が、椎木(シイのき)や樫の木(カシのき)等の常緑広葉樹林で構成され、
椎の自然林は貴重なものとされる
1985年(皇紀2645)昭和60年5月15日 京都府文化財環境保全地区に指定される
神谷神社本殿側(市道より東側)
<恵比須神社>
本殿の西北側にある
祭礼:1月10日 十日恵美寿祭
<猿田彦神社・稲荷神社>
本殿の東南側にある
稲荷神社祭神:保食大神
稲荷神社は、明治時代に還座され、猿田彦神社と合祀された
<川裾神社・大山祇神社>
猿田彦神社の奥(東側)にある
祭神:瀬織津姫神
祭礼:7月30日 川裾まつり
1886年(皇紀2546)明治19年
無格の3社が合祀されている
<寒川神社>
祭神:応神天皇
久美浜の氏神さん
<蛭見神社>
松の古木の古株の上に安置されている
祭神:事代主命と大己貴命
1885年(皇紀2545)明治18年
暴風により、横の松が倒れたが、社殿を避けるように倒れ、社殿は一切損傷しなかったといわれる
八幡山側(市道より西側)
<八幡神社(八幡宮)(京都府登録文化財)>
祭神:応神天皇・神功皇后
本殿:梁行3尺、桁行3尺5寸、一間社流造、こけら葺
正面に軒唐破風が付いている
上屋:梁行1間半、桁行2間
江戸時代末期の建立
久美浜代官所代官にとくに崇敬され、八幡神社の祭礼では代官所にも神輿が渡御した
<磐座>
八幡神社の北側、八幡山麓にある
複数の巨岩奇岩が集まり、古代の自然崇拝の場所
最も大きい岩は、高さ約5m、周径10m以上
真北真南に入った割れ目があり、夏至には朝日と夕日が真っ直ぐ差し込む
これによって農作業の適期を知ることができる、古代太陽祭祀の跡といわれる
<厳島神社・弁天神社>
磐座の奥(北東側)にある
祭礼:6月17日 厳島祭
<秋葉神社>
磐座の奥(北西側)にある
祭礼:2月18日 火防祭
<皇太神宮>
磐座の奥(西側)にある
<社日社>
磐座の東側にある
祭礼:3月16日 社日祭
境外社
<城山稲荷神社>
祭礼:3月21日 稲荷祭
<熊野権現(かぶと山山頂)>
祭礼:4月23日 熊野権現祭
<愛宕神社>
祭礼:8月23日 愛宕祭
<磯辺神社>
祭礼:9月 荒神祭(奉納子供相撲大会)
<三柱神社>
祭礼:9月 三柱祭
<旗指神社(はたさしじんじゃ)>
神谷神社の創建の地の神谷明神谷に残る
神谷神社の旗持ちであったことから、神谷太刀宮の例祭には、大幟が立てられる
丹波道主命の神魂(かみのみたま)として祀られた「国見の剣」は現存しておらず、
代々の久美浜代官らにより、刀剣や燈籠などが数多く寄進されている
<宗近新身の太刀>
江戸時代、京極氏により寄進された
<歳旦祭> 1月1日
<十日恵美寿祭> 1月10日
<厄除節分祭> 2月節分
<茅の輪くぐり> 7月30日前後
<例祭 神谷太刀宮祭(久美浜一区の秋祭)>
10月第2日曜日
神輿や太鼓台が町内を巡行し、神社境内では、先高(さきだか)や空のせなどの技が奉納される
本祭の前夜には、太陽に見立てた赤い提灯をつけた日和神楽(ひよりかぐら)が、子どもらを先頭に町内を練り歩く
神谷神社の創建の地に残る、旗持ちだった旗指神社(はたさしじんじゃ)から大幟が立てられる
江戸時代以前
2日間にわたって2基の神輿が出て、太鼓台と囃子屋台が出て屋台狂言が演じられた
明治時代
久美浜の全町が車輪付きの太鼓台を出すようになり、太鼓台同士を激しくぶつけ合い、勝負がつくまで激しく太鼓を打ち合う喧嘩祭のようになる
1912年(皇紀2572)明治45年
太鼓台のぶつけ合いにおいて死傷者がでる事故があり、太鼓台は10年間の出動停止処分を受ける
1921年(皇紀2581)大正10年
町民らの嘆願によって出動停止処分が解かれ、車輪がなく神輿のように担ぐ太鼓台が5基 新調された
2000年(皇紀2660)平成12年以降
祭日が、10月第2日曜日とされる
<新嘗祭> 11月23日
<大祓> 12月31日
<「鬼滅の刃」>
神谷太刀宮が、丹波道主命の佩刀「国見の剣」を御神体とし、
代々の久美浜代官らにより刀剣などが数多く寄進されてことから注目され、
磐座が、主人公の炭治郎が修行で斬っていた岩に似ているとされ聖地扱いされている