行基(ぎょうき)(Gyouki) 京都通メンバ
飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した高僧

生年:668年(皇紀1328)天智天皇7年
没年:749年(皇紀1409)天平21年2月2日
享年:82

父親:高志才智(こしのさいち)
母親:蜂田古爾比売(はちだのこにひめ)
長子

僧官:大僧正(最高位)(日本初)
法号:行基大徳
諡号:菩薩

別称:行基菩薩

東大寺の四聖

出身:河内国大鳥郡(現在の大阪府堺市西区家原寺町)
墓所:竹林寺(奈良県生駒市)

 行基(ぎょうき)は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した高僧

 15歳で出家、修行を経て、民間布教や社会事業に尽力し、私度僧から法師として公認され「行基大徳」「菩薩」の号を賜る

 聖武天皇の帰依を受け、東大寺の大仏造営の勧進の功績で、仏教界における最高位となる「大僧正」を日本で最初に賜った

【行基の歴史・経緯】



【行基】

 当時、辻説法や民間布教が禁じられており、この時代唯一、僧尼令違反として糾弾されて弾圧を受けた

 社会事業により、私度僧から法師として公認され「行基大徳」「菩薩」の諡号を賜る

 東大寺の大仏造営の勧進(かんじん)(寄付金を募る事業)の功績で、仏教界における最高位となる「大僧正」を日本で最初に贈られた


 <社会事業>
 近畿地方を中心に、民衆を教化し、知識集団を組織して、貧民救済や治水・架橋などの社会事業に活動した

 河内国・和泉国・摂津国・山背国などに造ったといわれるもの
  溜池15・溝7・堀4・樋3・道1・港2・架橋6カ所
  布施屋(ふせや)(旅人などの無料宿泊所)9カ所
  道場や寺院49院


 <知識集団>
 近畿地方を中心に、当時は禁止されていた辻説法で民衆を教化して組織して、社会事業などを行った民間集団
 集団内では分業が行われ、設計者・技術者・資材と労力の調達などを担当する専門家グループがいたといわれる

 弟子を率いて諸国を廻って説教を行ったとき、徳を慕った1000人もの民衆が後について来たともいわれる
 朝廷により「小僧の行基と弟子たちが説教して回り人民を惑わしている」旨の名指しの詔が出され、
僧尼令違反として唯一適用され、糾弾されて弾圧を受けた


 <行基図>
 行基が製作した古式の日本地図
 805年(皇紀1465)延暦24年
 下鴨神社に納められた


 <辞世の句>
 「のりの月 ひさしくもがなとおもへども さ夜ふけにけりひかりかくしつ」(新勅撰集)

 <歌>
 「山鳥の ほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(玉葉和歌集)


 <行基焼(ぎょうきやき)>
 飛鳥時代から平安時代にかけて各地で生産された須恵器や、
平安時代から室町時代にかけて東海地方で生産された山茶碗などを称することがある
 行基が諸国を行脚して民衆に作陶技術を伝授したとする伝承に由来する呼称
 京焼・清水焼の由来となったといわれる


 <行基葺(ぎょうきぶき)
 平瓦の上にかぶせる丸瓦の上部が細く造られ、次の丸瓦が被るように葺かれた工法
 通常の本葺における丸瓦とは、頭と裾の幅が逆さになったような形状となる
 行基により発明されたといわれる
 宝塔寺の京都市内に現存する最古の多宝塔(重要文化財)などで用いられている

【行基ゆかりの地】

 河内国・和泉国・摂津国・山背国など、道場や寺院49院を創建したといわれる
 その他、行基が開基したとの追慕による伝承が、青森県から宮崎県まで600寺ほどある

 行基菩薩開基四十九院(山背国のみ)
 法禅院檜尾   (山城国紀伊郡深草郷)(伏見区深草鞍ヶ谷町)  731年(皇紀1391)天平3年建立
 河原院     (山城国葛野郡大屋村)(現在地は不明)     731年(皇紀1391)天平3年建立
 大井院     (山城国葛野郡大井村)(右京区天竜寺造路町)  731年(皇紀1391)天平3年建立
 山埼院     (山城国乙訓郡山前郷)(大阪府三島郡島本町)  731年(皇紀1391)天平3年建立
 吉田院     (山城国愛宕郡)   (左京区吉田神楽岡町)  734年(皇紀1394)天平6年建立
 発菩提寺泉橋院 (山城国相楽郡大狛村)(木津川市山城町上狛)  740年(皇紀1400)天平12年建立 泉橋寺
 発菩提寺尼院  (山城国相楽郡大狛村)(木津川市山城町上狛)  740年(皇紀1400)天平12年建立
 泉福院(誓願寺)(山城国紀伊郡石井村)(伏見区御香宮門前町付近)740年(皇紀1400)天平12年建立
 布施院     (山城国紀伊郡石井村)(伏見区御香宮門前町付近)740年(皇紀1400)天平12年建立
 布施尼院    (山城国紀伊郡石井村)(伏見区御香宮門前町付近)740年(皇紀1400)天平12年建立

 四十九院以外の行基が開基・開山とされる寺院

 <下出雲路寺(愛宕郡出雲郷雲下里)>
 703年(皇紀1363)大宝3年
 文武天皇の勅願で、行基によって創建され、現在の毘沙門堂の由来とされる

 <毘沙門堂
 703年(皇紀1363)大宝3年
 文武天皇の勅願で、行基によって出雲路のあたりに下出雲路寺が創建されたのが由来で、行基が開山とされる

 <法輪寺
 713年(皇紀1373)和銅6年
 元明天皇の勅願により、行基が、五穀豊穣・産業の発展を祈願する木上山葛井寺を開山したのが由来

 <宝積寺
 724年(皇紀1384)神亀元年
 聖武天皇の勅願により、「打出」と「小槌」を祀るために、行基が建立し、本堂に十一面観音菩薩が祀られる
 725年(皇紀1385)神亀2年
 行基が、天王山の麓に、対岸の橋本へ「山崎橋」を架ける

 <地蔵院
 726年(皇紀1386)神亀3年
 聖武天皇の勅願により、行基が、摂津国の昆陽池のほとりに、地蔵菩薩像を祀り建立した地蔵院が由来
 「鍬形地蔵」「木屋地蔵」とも称されている元本尊 地蔵菩薩は、行基の作といわれる

 <岩船寺
 729年(皇紀1389)天平元年
 聖武天皇の発願により、行基が開山となり、潅頂堂(かんじょうどう)として阿弥陀堂を建立し、勅願寺にされたといわれる
 本堂に祀られている本尊の木造 阿弥陀如来座像(重要文化財)は、行基の作といわれる

 <善願寺
 730年(皇紀1390)天平2年頃
 光明皇后の発願によって、行基が、一千日の間一千部の「地蔵菩薩本願経」を写経し、
それを地蔵菩薩の胎内に納めて本尊として祀り、建立する

 <浄瑠璃寺
 739年(皇紀1399)天平11年
 聖武天皇の勅願により、行基が開基したともいわれる

 <西光寺
 749年(皇紀1409)天平勝宝元年
 行基が、阿弥法師とともに勧進し、現在の地の西にある蓍山(安行山)の麓に庵を建立され「行基院」と称したのが由来

 <西芳寺
 聖徳太子の命により、行基が、聖徳太子の別荘に創建した寺院が由来

 <正法寺(相楽郡和束町)>
 行基が、安積親王の供養のために建立したといわれる

 <円隆寺
 創建は不詳だが、行基により創建されたともいわれる

 <光照寺
 行基が創建した草庵が、その後再興されて寺院となる


 行基作とされる仏像がある寺院

 <金戒光明寺
 吉備観音(重要文化財)は、吉備真備が、唐より持ち帰った栴檀香木で、行基に頼んで刻んでもらった観音菩薩像
 聖武天皇が勅願所として定められ、「厄除け」「道中守護」「交通安全」「諸願成就」の御利益があると信仰されている

 <上善寺
 本尊の阿弥陀仏坐像は、行基の作といわれる

 <大雲寺
 本尊 十一面観世音菩薩は、聖武天皇の姿を写したもので行基の作といわれている

 <石像寺
 観音堂に祀られている観世音菩薩像は、行基の作といわれる

 <東大寺(奈良市)>
 聖武天皇に盧舎那仏像(大仏)建立の勧進(かんじん)(寄付金を募る事業)に起用される


 山背国において行基が架橋した橋

 <山崎橋(淀川)(山城国乙訓郡山崎)
 725年(皇紀1385)神亀2年
 聖武天皇の勅願により行基が創建したとされる宝積寺がある山崎から、淀川の対岸の橋本へ架橋する
 731年(皇紀1391)天平3年
 行基が、山崎橋の守護と、布教のために「山崎院」を建立する
 桃山時代に再建され、その後、流されてから再建されていない

 <泉橋(木津川)(山城国相楽郡大狛村)>
 741年(皇紀1401)天平13年10月
 聖武天皇の依頼で、恭仁京木津川に大橋の架橋に協力する
 現在の国道24号の泉大橋(木津川市)で、日本百名橋に選ばれている


 その他、行基ゆかりの地

 <阿弥陀ヶ峰
 天平年間(729年〜749年)
 行基が、この峰に阿弥陀堂を建てたことから名付けられたといわれる


 <茶わん坂
 聖武天皇の勅により、行基が山城国愛宕郡清閑寺村(東山区清閑寺)に窯を築いて土器が製造されたといわれ、
それが茶わん坂の由来といわれる
 清閑寺窯が発展して、清水焼、粟田焼が生まれ、二つの流れから京焼が生まれたといわれる


 <宝塔寺
 京都市内に現存する最古の多宝塔(重要文化財)があり、
 一層目は、行基葺(ぎょうきぶき)、二層目は本瓦葺の屋根と称される


 <行基広場の行基菩薩像(近鉄奈良駅前)>
 1969年(皇紀2629)昭和44年
 近鉄奈良駅の地下化のときに、広場が作られ噴水とともに、大塩正人窯元7代目により赤膚焼の行基像が建立された
 その後、再焼し再建されるが、その像も自然劣化する
 1995年(皇紀2655)平成7年
 奈良市の彫刻家 中西重久が製作したブロンズ像が立てられる

【その他】

 <紙本着色「大寺縁起絵巻」3巻(重要文化財)>
 土佐光起の1690年(皇紀2350)元禄3年頃の作
 上巻は三村明神がこの地に鎮座した由来、中巻は行基の誕生から幼少児の逸話などが記されている
 開口神社(大阪府堺市)所蔵


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