足利尊氏邸・等持寺跡
(あしかがたかうじてい・とうじじあと) 京都通メンバ
所在地:京都市中京区御池通高倉上ル東側(保事協会館前) 
   名所地図情報名所

別称:二条万里小路第、二条高倉第

通称:室町幕府発祥の地

 足利尊氏邸・等持寺跡(あしかがたかうじてい・とうじじあと)は、
 室町幕府を開いた初代室町将軍 足利尊氏の邸宅跡

 「二条万里小路第」「二条高倉第」と称され、
 二条大路(二条通)・三条坊門小路(御池通)・万里小路(柳馬場通)・高倉小路に囲まれた範囲

 三条坊門小路を挟んだ南側には、室町幕府の政務を任せていた弟 足利直義の邸「三条坊門第」があった

 足利尊氏が宿所としていた「二条万里小路第」が「室町幕府発祥の地」とも称される

 足利尊氏の死後は、足利家の菩提寺 等持寺の境内となる

 中京区御池通高倉上ル東側の京都府保険事業共同組合 保事協会館前に石碑が立っている

【足利尊氏邸・等持寺跡の歴史・経緯】

【足利家の邸宅】

 室町幕府を開いた初代室町将軍 足利尊氏の邸宅

 <二条万里小路第(足利尊氏邸)>
 北は二条大路、南は三条坊門小路(御池通)、西は高倉小路、東は万里小路(柳馬場通)に囲まれた
 南北2町(約250m)、東西1町(約120m)を占めていた

 足利尊氏は、ここで政務を行い、建武式目十七条を定めて政権の基本方針を示し、
新たな武家政権の成立を宣言し、室町幕府が発足したことで「室町幕府発祥の地」とも称される

 足利尊氏は、二条万里小路第で亡くなっている


 <三条坊門第(足利直義邸)>
 足利尊氏邸の二条万里小路第の三条坊門小路を挟んだ南側にあった
 北は三条坊門小路(御池通)、南は姉小路、西は高倉小路、東は万里小路(柳馬場通)に囲まれた1町四方
 政務を任されていた足利尊氏の弟 足利直義の邸宅だった


 <三条坊門第の東隣(足利義詮邸)>
 足利義詮が、三条坊門第の東隣に新造して住んだ
 北は三条坊門小路(御池通)、南は姉小路、西は万里小路(柳馬場通)、東は富小路に囲まれた1町四方

 足利義持が、足利義詮の住んでいた三条坊門の邸宅を再建し移住する
 邸は「三条坊門殿」、花の御所の「上御所」に対して「下御所」とも称された
 邸内には、足利義持の定めた「十境」があり、勝音閣・覚苑閣・湖橋・蘸月池などが選ばれていた

【等持寺】

 <等持寺>
 弟 足利直義が、自邸の三条坊門第の北側に、古先印元を開山に迎えて創建した持仏堂とした
 足利直義の死後に足利尊氏が、新たに、夢窓疎石を開山として、足利家の菩提寺に改める

   足利尊氏が、将軍となる開運のために、3寺の建立を将軍地蔵に誓ったが、 資材の調達ができず、「寺」の字を含む「等」「持」「寺」の3文字を寺号として3寺に代えたといわれる
 足利尊氏の死後は、二条万里小路第も等持寺の境内となり、
 北は二条大路、南は三条坊門小路(御池通)、西は高倉小路、東は万里小路(柳馬場通)に囲まれた
 南北2町(約250m)、東西1町(約120m)を占めていた

 官寺として幕府の公的な仏事が行われた

 応仁の乱で焼失して衰退し、
 別院だった等持院に統合され、足利氏の菩提寺とされる

 等持寺があった付近に「等持寺町」の町名が残っている

 <御所八幡宮
 三条坊門第の北西角(三条坊門小路(御池通)・高倉小路の南東)にあった
 三条坊門第・等持寺の鎮護社であったといわれる


【足利尊氏邸・等持寺跡】

 中京区御池通高倉上ル東側の京都府保険事業共同組合 保事協会館前に石標が立っている

 <石標「足利尊氏邸・等持寺跡」>
 建立年:1995年(皇紀2655)平成7年10月16日
 建立者:京都府保健事業協同組合
 大きさ:高さ131cm × 幅15cm × 奥行15cm
 碑文:
  (西側)足利尊氏邸・等持寺跡
  (東側)京都府保健事業共同組合建之 平成七年十月十六日

【その他】

 <源氏物語
 この地は、平安京左京三条四坊七町にあたり、公家・歌人 藤原定方の大西殿(おおにしどの)があった
 その後、冷泉天皇皇后 昌子内親王の御所になる
 「源氏物語」に記されている藤壺中宮とその御所が、大西殿と昌子内親王がモデルになっているといわれる

【アクセス】

 市バス 堺町御池 徒歩1分
 地下鉄 烏丸御池駅 徒歩約5分

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