等持院(とうじいん)は、立命館大学の南側にある足利尊氏の菩提寺
3月の椿、馬酔木(あしび)、4月のはなずおう、5月の杜若、8月の百日紅・芙蓉、
10月の金木犀などの花の名所
秋には、紅葉の名所
<方丈>
福島正則が1616年(皇紀2276)元和2年に建立した妙心寺海福院の方丈が移建されたもの
<霊光殿>
足利尊氏の念持仏だった利運地蔵菩薩(りうんじぞうぼさつ)と、その両脇に達磨大師像と夢窓疎石像が安置されている
歴代足利将軍の木造13体と、徳川家康像の衣冠等身の木像も安置されている
<宝筐印塔(ほうきょういんとう)>
東苑に建つ
足利尊氏のお墓といわれる
高さは5尺
1358年(皇紀2018)正平13年/延文3年の建立
<庭園>
夢窓疎石の作庭といわれる三大名園の一つ
方丈の北側にあり、東西2つの池を中心とした庭に分かれた池泉回遊式庭園
庭園北側は、高い築山になっている
東苑は、「心字池(しんじいけ)」と称される、三神仙島をかたどった池庭
夢窓疎石の作庭
室町時代の作庭の手法が見られる
中ノ島には、観音閣があったといわれる
中央大小2つの島で、亀島となる
夏至の頃には、半夏生が咲き誇る
西苑は、「芙蓉池(ふようち)」と称される
方丈の北にあり、西側に書院、北側に茶室 清漣亭がある
池全体で芙蓉の花を型どり、衣笠山を借景にした池泉回遊式庭園
中の島は「蓮莱島」と称される
初夏には、ツバキや皐月(さつき)が咲き誇る名所
<茶室 清漣亭>
庭園北側の築山の上に建つ
8代将軍 足利義政好みで、二畳台目席の茶室
司馬温公形手水鉢が、清漣亭の東側に置かれている
司馬温公は、中国北宋代の儒学者・歴史家・政治家の司馬光のこと
縁がでこぼこし、凹凸が激しい石に水穴をあけた手水鉢
等持院形灯篭が、清漣亭の南前に置かれている
<足利家十五代供養搭>
全高5mの十三重塔
<香川県小豆島の俳人 赤松柳史の句碑>
足利家十五代供養搭の右側にある
「煩悩はたえず 南瓜を両断す」
<赤松柳史の高弟 青山柳為の句碑>
足利家十五代供養搭の左側にある
「芙蓉池に風あるやなし 落花舞ふ」
<有楽椿>
織田有楽斎ゆかりの椿
「胡蝶侘助」とも称される
樹高十数m 根元の幹周り100cm 現存する有楽椿では最大のもの
地上約80cmで三又になっている
早春から4月ぐらいまで花が咲く
<マキノ省三の像(まきのしょうぞう)>
境内入口付近に立つ
牧野省三は、京都府生まれの映画監督・映画プロデューサ・実業家
日本最初の職業的映画監督とされ「日本映画の父」と称される
日活より独立して最初に建てた撮影所「牧野教育映画製作所」が等持院の境内であったことにちなむ
<墓地>
日本最初の映画スターといわれる、日活の尾上松之助のお墓
隣接する立命館大学の創立者 中川小十郎のお墓
など
<利運地蔵菩薩(りうんじぞうぼさつ)>
霊光殿に安置されている
弘法大師 空海の作といわれる
<徳川家康木像>
徳川家康の42歳の頃の像
石清水八幡宮豊蔵坊から移されてきたもの
厄除けのご利益があるといわれる
<近代京都文学 京都ゆかりの著書>
作家の水上勉が、小坊主としてこの寺に寄宿していた
「雁の寺」(水上勉)や、「私本太平記」(吉川英治)に、等持院が記されている
<きぬかけの路>
散策のエリアにもなっている