高陽院跡(かやのいんあと)
高陽院邸跡
(KayanoIn Ato) 京都通メンバ
所在地:高陽院跡:京都市中京区丸太町通小川通西入北側横鍛冶町 
   名所地図情報名所

所在地:高陽院邸跡:京都市中京区丸太町通油小路西入北側丸太町 
   名所地図情報名所

別称:賀陽院(かやのいん)

平安京:平安京左京二条二坊十町(南北2町)
 北は中御門大路、西は堀川小路、東は西洞院大路、南は大炊御門大路

里内裏:70代 後冷泉天皇・71代 後三条天皇・72代 白河天皇・73代 堀河天皇
   74代 鳥羽天皇・84代 順徳天皇・85代 仲恭天皇

 高陽院跡(かやのいんあと)・高陽院邸跡は、平安京にあった里内裏の一つの跡地

 丸太町通堀川通から東側のビルの前に「高陽院跡」と「高陽院邸跡」の銘板が置かれている

 平安時代初期には、桓武天皇の第七皇子 賀陽親王の邸宅「賀陽院(かやのいん)」があった

【高陽院の歴史・経緯】

【高陽院邸】

 <高陽院邸>
 平安時代初期
 当初は、桓武天皇の第七皇子 賀陽親王(かやしんのう)の邸宅
 平安京左京二条二坊十町の南北2町(約250m四方)にあった
 北は中御門大路、西は堀川小路、東は西洞院大路、南は大炊御門大路に囲まれていた

 平安時代初期
 藤原頼通が、敷地を4町(左京二条二坊九町・十町・十五町・十六町)に拡大し、
藤原頼通の長期政権の拠点とする


 他の貴族邸宅の4倍の広さだった
 「栄花物語」には、寝殿の四方を池に囲まれたつくりが描かれている
 藤原実資の日記「小右記」では、「天下の嘆く所」と豪華絢爛ぶりを非難している

 正門の西門は楼門
 建物は、寝殿造で内裏の清涼殿にみなして建てられた
 四周に2つの池が掘られ、中島に釣殿があった
 池に面して御堂・文堂があった
 敷地の東半分に馬場、馬場殿があった

 <里内裏
 70代 後冷泉天皇が高陽院を里内裏とされ中殿で崩御される
 その後、71代 後三条天皇・72代 白河天皇・73代 堀河天皇・74代 鳥羽天皇・84代 順徳天皇・
85代 仲恭天皇の里内裏となり「累代の皇居」と称される


【高陽院の遺構】

 <発掘調査>
 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所により、数回の発掘調査が行われた
 少なくとも南北約140mの広大な池だったとされ、平安京跡で発掘された庭園の池としては最大規模になる
 池底が50から60cmと高く、奏楽を乗せた竜頭鷁首を浮かべたといわれる
 苑池は2つあったとみられる
 池のふちには玉石を敷き、複雑な形をしていた
 池からは金粉蒔絵硯も発見された
 池は4回改変され、その度に次第に縮小したといわれる

 遺構は保存されず、株式会社ITP京都本社ビルやマンションが建設されている

【高陽院跡へのアクセス】

 地下鉄 丸太町駅 徒歩約10分
 市バス 堀川丸太町 徒歩数分


【京都検定 第25回1級】

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