鴨社資料館 秀穂舎(かもしゃしりょうかん しゅうすいしゃ)は、
下鴨神社の表参道沿いに、瀬見の小川が交差する南側にある
賀茂社に関する資料などが保管・展示されている
下鴨神社の学問所絵師であった浅田家の屋敷であった旧浅田家住宅が整備された建物
明治維新の1868年(皇紀2528)明治元年
明治新政府の神祇制度の悪政により、社家制度が廃止され、境内付近のほとんどの社家が解体され、
現在では、鴨脚家と浅田家の旧宅が残るだけになる
それまでは、下鴨神社は、鴨の氏人を中心に組織されていた
<鴨社公文所・学問所>
式年遷宮のために、社殿建築技術、各種調度品などの工芸調整技術の継承・後継者養成が行われていた
葵祭などの年中祭祀や、祭祀資料・文化・歴史の研究・修練・指導が行われ、
それぞれの分野ごとに一子相伝により継承されていた
絵師・文書司・神工・塗師・金工・檜皮工・竹工・壁工・鍛冶工・布縫製機械・楽器工・衣紋調度・化粧具・医療調合・木版術・田圃・畠栽培技術など、
様々な社職職工の技術集団があった
地方の鴨神社のための、歴史・地理・暦学・歌学・鴨神道などの教育機関でもあった
神供調理の厨房集団、神官・祭事進行の神殿守、音楽伝承の人長・忌子女などの氏人集団も属した
鴨社画工司(絵所預)があり、絵師として浅田家・大崎家・淵家・榊家らの氏人が所属した
浅田家は、祭事などを記録する絵所の絵師を務めていた
平安時代の「鴨社古圃」「御生神事絵巻」「葵祭絵巻」「鴨臨時祭絵巻」「孝明天皇行幸絵巻」などの書写も行われていた
<秀穂舎>
江戸時代中期
鴨社公文所司の祝(はふり) 鴨脚秀豊(鴨秀豊)が開いた私設の「秀穂舎塾(しゅうすいしゃじゅく)
塾長には、大阪にいた講談師の由来となる神道講談の玉田永教が招かれた
子供たちは、読み書き・算盤などを学び、下鴨神社の摂社 比良木神社の秋祭りに献書していた
現在も、御火焚祭で「天満書」と称され継承されている
塾の教授らは、下鴨神社表参道の一の鳥居を入った付近に、短冊形地割で屋敷が建ち並んでいた
玉田永教の屋敷には、天満宮が祀られていた(第35回式年還宮で復興予定)
<旧浅田家住宅>
各部屋には、社家で使用されていた様々な調度品などが展示されている
<神像(しんぞう)>
神棚の間に祀られている
宮大工の神工(じんく)が、下鴨神社式年遷宮造替のとき、本宮古材を用いて制作されたもの
脚台上にのせた高坏(たかつき)と、御神酒・御水を注ぐ安南(あんなん)が供えられている
<御神号「賀茂大明 神 賀茂御祖皇太神宮 比良木大明神」>
神棚の間の床の間に掛けられている
<鴨氏譜>
神棚の間の床の間の床の漆塗り台盤に置かれている
<次の間の閼伽棚(あかだな)>
御神酒・御水用の安南(あんなん)、御花の壺、御供えの土器類・俎板(まないた)が置かれている
<祭事用の布衣>
冠台に冠、烏帽子筥に烏帽子
雨儀用の布衣(ほい)
鞍・鞍掛
槍・刺股(さすまた)
袖搦・袖絡(そでがらみ)
沓(くつ)、皮鞋(かわぐつ)、鎖帷子(くさりかたびら)、雨傘、提灯など
<杉戸絵>
原在泉の筆
「虎」「石見の瀬見の小川」「武人」「矢立て鴨」「鹿」「白鷹」などがある
<石人像 石人文官(せきじん-ぶんかん)>
表門脇に立っている内侍像
高さ125cm X 最大幅35cm
<歳木(としぎ)>
表門内に置かれている
歳神を招く神籬(ひもろぎ)で、元旦を祝い年神を祀る飾り木にもなった
鬼木(おにぎ)、御新木(おにゅうぎ)とも称される
魔除けの呪物とされた
<御井(みい)>
屋敷内の神々に供える御水をくむための井戸
<水棹(みさお)>
袖塀内の軒先に掛けられている、御水を飲むためのもの
<御壺(おつぶ)>
御井の横にあり、非常用に使用する水壺
<手水鉢(ちょうずばち)>
双葉葵が刻まれている
<禊場(みそぎば)>
敷地の北側を流れる泉川の畔にある
手前に、太鼓橋が架けられ、建物と降り口をつないでいる
下鴨神社の神官・氏人の家には、祭神・家の神々が祀られており、祭事と本宮の祭祀に奉仕するために社家に川畔に禊場が設けられていた
ここでの禊を行い、祭事・祭祀に携わっていた