葵祭(あおいまつり)は、上賀茂神社と下鴨神社の例祭
古墳時代に始まった京都最古の祭で、かつては、4月の中酉の日に行われており、「賀茂祭(かもまつり)」と称され、
単に「祭」といえば、「葵祭(あおいまつり)」のことをいう
神がその出現地へ出現日に幸(みゆき)をすることから、「みあれ」とも称されていた
「路頭の儀」では、長さ約1kmにもおよぶ平安絵巻で都大路を飾られる
内裏神殿の御簾(みす)、祭儀に係わる人、御所車(牛車)、勅使・供奉者の衣冠、牛馬など全てのものに
双葉葵(ふたばあおい)を掛けて、桂の小枝に挿して飾ったたことから、江戸時代以降に「葵祭」と称されるようになる
「源氏物語」「今昔物語集」「徒然草」などに祭の風情が描かれている
石清水祭を「南祭」、葵祭を「北祭」と称される
庶民の祭である祇園祭に対して、賀茂氏と朝廷・貴族の祭事・行事であった
官の祭であったことが色濃く残され、古式のままに、装束の着付け、調度などは、平安時代の文物風俗を忠実に保たれている
1日 <競馬会足汰式> 上賀茂神社
吉日 <斎王代・女人列御禊神事> 上賀茂神社と下鴨神社の隔年交代
3日 <流鏑馬神事> 下鴨神社の糺の森
5日 <歩射神事> 下鴨神社
5日 <賀茂競馬会神事>上賀茂神社
12日 <御蔭祭> 下鴨神社、御蔭神社
12日 <御阿礼神事> 上賀茂神社
15日 <葵祭の祭儀> 京都御所、下鴨神社、上賀茂神社
17日 <献茶祭> 上賀茂神社
21日 <煎茶献茶式> 下鴨神社
<車争い>
「源氏物語」「葵の巻」には、斎王列見物に出かけた葵上(あおいのうえ)と六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)との
車争いのことが記されている
葵上は、光源氏の正妻
六条御息所は、光源氏に愛されていた女性
御息所の車が、見物の列から弾き飛ばされ、気がすまない御息所の恨みが生霊となって葵上に取り付いたといわれる
<あとの祭>
「今昔物語集(巻28の2)」によると
頼光四天王の坂田公時ら3人が、葵祭の翌日、斎王列が帰る行列を見学に行った
慣れない牛車に乗った3人は、乗り心地も悪く、車酔いをして寝込んでしまった
3人が、目を覚ました時には、行列は通り過ぎたあとで、文字どおり「後の祭」だったといわれる
「枕草子」「徒然草」にも祭の様子が記されている
<勅祭>
葵祭は、天皇により勅使が遣わされ、祭祀・奉幣されるお祭
勅使は、社頭の儀では神様からの贈物を受け、路頭の儀では、行列の中心人物となる
<斎王代>
賀茂斎王は、賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の儀式に奉仕する未婚の皇女
斎王は、「いつきのひめみこ」とも称され、「斎」とは「潔斎して神に仕える」ことをいう
斎王代とは、斎王に代わり昭和時代に復活された儀式に奉仕する女性
<双葉葵(ふたばあおい)>
淡紅紫色の小さな花をつける
807年(皇紀1467)大同2年
飾り草として使われ始める
汚れた水では育たず、山の清流や、深い杉木立の中に自生している
採取後は、長く保存ができず、お祭に必要な約1万本の葵が、1週間前のうちに一気に採取される