光清寺(こうせいじ)(KouseiJi)

所在地:京都市上京区出水通七本松東入ル北側 七番町   地図情報

臨済宗建仁寺派の寺院

山号:心和山
院号:慈眼院

本尊:聖観世音菩薩立像

開基:伏見宮貞致親王(ふしみのみやさだゆきしんのう)

開山:杲山禅師(こうざんぜんじ)

 光清寺(こうせいじ)は、出水通を七本松通から東に入ったところにある寺院

 七番町は、桃山時代聚楽第の武家町跡
 周辺にも各宗派の寺院がいくつもあり「てらまち」とも称される地域にある

 岩倉具視の先祖 岩倉恒具など岩倉家の菩提寺

 出水の七不思議の一つである「浮かれ猫の絵馬」がある

 重森三玲の作庭による2つの庭園がある

【光清寺の歴史・経緯】

【光清寺の伽藍】

 <筋塀(すじべい)>
 皇室による創建として最高格式を表す黄色の築地塀で5本の白い水平線が引かれている

 <山門>
 <本堂>

 <庭園>
 1967年(皇紀2627)昭和42年
 作庭家 重森三玲により庫裏前に「心月庭」、本堂前に「心和の庭」の2つの枯山水庭園が作庭された

 <心月庭>
 モルタルで州浜形に縁取られた高さ30cm程の州浜台座の上に、白砂の砂紋が引かれている
 全体で5石があり、須弥山が形造られている
 白砂上に2石、1石は州浜を割って据えられている
 中心に立てられた主石は先端が鋭く尖る
 その頂点の延長線は、庫裡の妻の中心線と完全に一致している

 一段下の庭面は龍の髭で覆われ、縦4m、横3mほどある
 かつて、ここに松の老木があり、その後枯死したため作庭されたものという
 金閣寺垣で囲まれている

 <南庭「心和の庭」>
 約60坪(198m2)ほど
 北・東の二方が土塀(白壁)、南は竹垣になっている
 白砂、苔地、立石のみで構成されている

 住職の姓の心山(むねやま)で、光清寺の山号「心和山」に因み、心形の枯山水庭園として造られた
 地模様による心字形に変えられている

 白砂に苔地で盛り上げ州浜にして形を作り、その築山の上に12の石が置かれている
 4つの島があり、「心」字の左端の一画めの方丈島(1石)、二画めの最も大きな蓬莱島(7石)、
三画め、四画めの瀛州(えいしゅう)(2石)、壺梁(2石)に石が置かれている
 蓬莱島の最も奥に本尊石が立てられ、本堂側から観ると三尊石になっている
 石はすべて苔地の上に立てられている
 徳島産の青石で横石7石、伏石5石、立て石3石で計12石
 白砂地には大渦巻紋が引かれている
 竹垣にも「心」の字の意匠が直線で抽象化され描かれている

 心和の庭の「南の庭」には、かつて庭に使われていた5石が東西に並べられている

 中門には、菊華紋の透かしが入っている


 <墓地>
 岩倉家の菩提寺
 岩倉具視の先祖 公卿 岩倉恒具など30名のお墓がある


 <弁天堂>
 三味線上達の祈願所として信仰されている

 <庫裏>
 <鐘楼>
 <五葉松>

【光清寺の寺宝】

 <聖観世音菩薩立像
 本堂に祀られている
 平安時代慈覚大師 円仁の作といわれる


 <浮かれ猫>
  弁天堂に掲げられていた「牡丹と蝶」「白と黒の二毛猫(三毛猫)」の絵馬
 昔から富貴と長寿の吉祥図とされている構図になっている

 出水の七不思議の一つ
 この付近には江戸時代後期には遊里「五番町」があった
 三味線の音につられて、絵馬の猫が抜け出して、女性の姿に化けて踊り始め大騒ぎになった
 そこで、住職が法力で猫を絵馬に封じ込めたという
 その夜、衣冠束帯の武士が住職の枕元に現れ
「私は絵馬の猫の化身です、あなたに封じ込められしまい不自由で耐えられません。もう騒がないので許してください」と嘆願した
 住職は猫を哀れに思い、その法力の封を解いたといわれる
 1958年(皇紀2618)昭和33年
 五番町の遊郭が廃止された
 弁天堂には、三味線上達祈願の信仰がされている


 <玉照神社(たまてるじんじゃ)>
 1758年(皇紀2418)宝暦8年
 伏見宮が江戸に下るときに、伏見宮邸の鎮守社 玉照神社が光清寺に遷されたもの

【光清寺へのアクセス】

 市バス 千本出水・丸太町七本松・千本丸太町 徒歩約5分
 JR山陰本線(嵯峨野線) 円町駅 徒歩約10分
 JR山陰本線(嵯峨野線) 二条駅 徒歩約15分
 嵐電 北野線 北野白梅町駅 徒歩約15分

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