聚楽第(じゅらくだい)は、関白になった豊臣秀吉が平安京の大内裏跡の内野に創建した天守閣を持つ壮大な屋敷
北は一条通、南は丸太通、東は堀川通、西は千本通の広大な敷地を持っていた
いたるところに金箔が貼られた豪華爛漫な建物で、堀が巡らされた城郭だったといわれる
徴集された人夫は8万人以上といわれ、約6ヶ月で落成させたといわれる
豊臣秀吉の都市改造政策の一環でもある
旧敷地中央付近に、駒札・石碑が立てられている
<遺構>
西本願寺の飛雲閣
大徳寺の唐門
などが聚楽第の遺構といわれている
<出世稲荷神社>
1587年(皇紀2247)天正15年
豊臣秀吉が、聚楽第の敷地内に稲荷社を勧請して創建したのが由来
<堀川ごぼう>
聚楽第が取り壊された後、掘が、付近の住民が捨てたゴミで埋められ、
そこに農民が、巨大なごぼうを作りはじめたことに由来する京の伝統野菜