中井正清(なかいまさきよ)(Masakiyo Nakai)

江戸時代初期の大工頭

生年:1565年(皇紀2225)永禄8年
没年:1619年(皇紀2279)元和5年1月21日
享年:55

父親:中井正吉

通称:藤右衛門

京都大工頭 中井家の初代
官位:従五位下・大和守

出身:大和国

 中井正清(なかいまさきよ)は、江戸幕府の初代京都大工頭(だいくがしら)

 徳川家康に仕え、幕府の工事を手がけ、伏見城二条城・江戸城・駿府城などの造営に携わった

 京大工頭として、畿内・近江6カ国の大工・大鋸を支配した中井家の初代

【中井正清の歴史・経緯】

【中井正清】

 江戸幕府の初代京都大工頭(だいくがしら)

 <携わった建物>
 伏見城本丸 1602年(皇紀2262)慶長7年
 二条城 1606年(皇紀2266)慶長11年
 江戸城 1607年(皇紀2267)慶長12年
 駿府城 1608年(皇紀2268)慶長13年
 名古屋城 1612年(皇紀2272)慶長17年
 内裏 1613年(皇紀2273)慶長18年
 方広寺大仏殿 1614年(皇紀2274)慶長19年
 知恩院、久能山東照宮、増上寺、日光東照宮、江戸の町割りなど

   配下に組織した法隆寺大工を中核とする棟梁衆の技術と、6カ国内に配置した大工組や大鋸組の動員力により
大規模な建築を次々に完成させた

 <大名に匹敵する従四位下>
 大工としては異例の出世であり、
 醍醐寺座主の義演が「大御所(家康)に御気色よき者なり、比類なき故なり、先代未聞か」と驚く

 徳川家康に重用されたのは、大工としての業績に加えて、側近として政治的に重要な役割を果たしたことによるといわれる

 <大坂城の絵図>
 大坂の陣の直前に、徳川家康の密命により作成されたという

【中井家】

 <中井家2代 中井正侶>
 1600年(皇紀2260)慶長5年 - 1631年(皇紀2291)寛永8年
 中井正清の子
 大坂城天守閣、寛永度二条城などを造営

 <中井正純>
 中井正清の弟、中井家3代 正知の後見
 寛永度内裏石清水八幡宮本殿、延暦寺根本中堂、仁和寺五重塔、東寺五重塔などを造営

 <中井家3代 中井正知>
 中井正純の子で、中井正侶の養子
 承応度、寛文度、延宝度と内裏を3度造営

 <巨勢卓軒>
 中井正純の子、中井正清の孫


【京都検定 第15回1級】

[インデックス]


京都通メンバページ


[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク