金閣寺(きんかくじ)
(KinkakuJi) 京都通メンバ
正式名称:鹿苑寺(ろくおんじ)

所在地:京都市北区金閣寺町 
   卍地図情報卍

臨済宗相国寺の山外塔頭

山号:北山(ほくざん)

本尊:聖観世音菩薩

創建:1397年(皇紀2057)応永4年

創建:足利義満足利義持

開山:夢窓疎石

通称:金閣寺

世界遺産(古都京都の文化財)の一つ  右矢印次の世界遺産へ右矢印

重要文化財に指定される:9件(仏像1躯・絵画4件・古文書1件・書跡典籍3件)

 金閣寺(きんかくじ)は、京都市街地の北西部にある、相国寺の山外塔頭寺院

 金箔を貼った3層の舎利殿「金閣(きんかく)」があることで通称が一般的で、
正式名称は「鹿苑寺(ろくおんじ)」と称する


 庭園、建築は、極楽浄土をこの世に表したものといわれ、北山文化の中心となっていた

 境内約132,000㎡(約4万坪)の内、92,400㎡(約2万8千坪)が鹿苑寺庭園として
特別名勝特別史跡に指定されている


 5月上旬の杜若、8月上旬の百日紅花の名所
 秋には紅葉の名所


【金閣寺の歴史・経緯】



【金閣寺の伽藍】

 <舎利殿 金閣
 <池泉回遊式庭園国の特別史跡特別名勝
 <鏡湖池(きょうこち)
 <茶室 夕佳亭
 <大書院(おおじょいん)
 <陸舟の松(りくしゅうのまつ)
 <不動堂>
 <総門>
 <唐門>
 <舟形一文字蹲踞>
 <方丈>
 <庫裏>
 <鐘楼>
 <櫟樫(いちいがし)>
 <榊雲(しんうん)>
 <虎渓橋(こけいきょう)>
 <金閣寺垣>
 <銀河泉(ぎんがせん)>
 <巌下水(がんかすい)>
 <竜門滝>
 <安民沢(あんみんたく)>
 <独鈷水(どっこすい)>
 <茶所>
 <胡蝶侘(こちょうわびすけ)>


【寺宝】

 <木造 不動明王立像 1躯(重要文化財)>
 不動堂の脇壇に安置される不動明王
 1225年(皇紀1885)嘉禄元年
 西園寺護摩堂の本尊として造立された
 2003年(皇紀2663)平成15年5月29日 重要文化財に指定される


 <絹本著色 足利義満像(あしかがよしみつぞう)1幅(重要文化財)>
 1408年(皇紀2068)応永15年6月
 応永十五年六月足利義満の賛がある
 1961年(皇紀2621)昭和36年2月17日 重要文化財に指定される

 <絹本著色 足利義満像(あしかがよしみつぞう)1幅(重要文化財)>
 1408年(皇紀2068)応永15年
 色紙型に足利義満の和歌三首(伝飛鳥井雅縁筆)がある
 1961年(皇紀2621)昭和36年2月17日 重要文化財に指定される

 <絹本著色 達磨図(だるまず)1幅(重要文化財)>
 岩窟内で座禅する達磨が描かれている
 鎌倉時代の作
 無象静照(むぞうじようしよう)の五言絶句が記されている
 「黙々坐九霜 孤風更没雙 熊峯深夜月 清影落千江 無象静照拝賛」
 1997年(皇紀2657)平成9年6月30日 重要文化財に指定される

 <大書院障壁画 50面(重要文化財)
 1759年(皇紀2419)宝暦9年  江戸時代中期の大画家 伊藤若冲の筆
  ・紙本墨画葡萄図(葡萄之間)15面(襖貼付4面・壁貼付2面・床貼付3面・違棚貼付6面)
  ・紙本墨画松鶴図(松鶴之間)8面(襖貼付八襖貼付8面、床貼付4面)
  ・紙本墨画鶏及秋海棠図(鶏之間)11面(襖貼付10面・壁貼付1面)
  ・紙本墨画竹図(入側)4面(襖貼付)
 1959年(皇紀2619)昭和34年6月27日 重要文化財に指定される


 <慈聖院 寿寧院遺誡(じしょういん じゅねいいんゆいかい)1巻(重要文化財)>
 1388年(皇紀2048)元中5年/嘉慶2年
 嘉慶二年三月廿六日龍秋周沢証語
 1905年(皇紀2565)明治38年2月14日 重要文化財に指定される


 <竺田悟心墨蹟(じくでんごしんぼくせき)1幅(重要文化財)>
 中国 元時代 至順元年仏成道日
 1330年(皇紀1990)元徳2年のもの
 1939年(皇紀2599)昭和14年5月27日 重要文化財に指定される

 <子元祖元高峰顕日問答語(しげんそげんこうほうけんにちもんどうご)(你且来)1幅(重要文化財)>
 1281年(皇紀1941)弘安4年のもの
 1952年(皇紀2612)昭和27年7月19日 重要文化財に指定される

 <拙庵徳光墨蹟(せったんとくこうぼくせき)(金渡墨蹟)1幅(重要文化財)>
 中国 南宋時代のもの
 1956年(皇紀2616)昭和31年6月28日 重要文化財に指定される
 附指定:周乘筆金渡墨蹟由来記 1幅

 <後水尾天皇宸筆>
 後水尾天皇が、鳳林承章の希望によって詠まれた
 「とはゝやなきぬ笹岡のあきの色を 来て見よとこそ鹿もなくらめ」


 <相輪の破片
 足利義満が建立した七重塔「北山大塔」のものとみられる青銅製の飾り「相輪」の破片
 北山大塔は、完成前の1416年(皇紀2076)応永23年に落雷で焼けたが、これまで遺物が見つからず幻の塔とされてきた
 塔の土台はまだ確認されていない

 2016年(皇紀2676)平成28年
 金閣から約200m東の境内の北東隅にある室町時代の溝で、相輪の破片3個が見つかった
 相輪(そうりん)は、木造の塔の最上部から突き出た青銅製の細長い装飾部分
 破片は、輪が9つ重なる九輪の一部とみられる
 最大の破片は、幅37.4cm、高さ24.6cmで、厚さ1.5cm、重さ約8.2kg
 復元すると相輪は直径約2.4mになることから、巨大な塔だったと推定できるという
 現存する木造の塔の中で最も高い、高さ55mの東寺の五重塔の宝輪は直径1.6m
 破片には金メッキが施されていたことも分かった
 景徐周麟(けいじょしゅうりん)が書いた文献「翰林葫蘆集(かんりんころしゅう)」には「高さは360尺(約109m)」と記されていた

 足利義満は1339年(皇紀1999)延元4年/暦応2年、相国寺に七重大塔を建立した
 七重大塔は高さ約109mとされ、国内で最も高い木造建築物だったという
 七重大塔が落雷で焼失したため、住んでいた北山殿(現在の金閣寺)で、1404年(皇紀2064)応永11年から北山大塔の建築を始めた
 塔の工事を始めたことを示す「立柱の儀」を行った記録が残っている
 1408年(皇紀2068)応永15年頃には金閣もあったという
 室町時代の皇族の看聞日記には「北山大塔は七重で、落雷で燃え、僧らが懸命に消火したが焼失した」
などとあるが、場所や規模は記されていない

【金閣寺の祭事】

 <弓祭>
 2月10日
 舎利殿で、北野天満宮の神職と金閣寺の僧侶が、読経や祝詞を奏上し、梅の献花などが行われ、
北野天満宮の神職が、舎利殿に向かって鏡湖池へ仏前に供えられていた5本のを放ち天下太平を祈願する神事
 北野天満宮に祀られている菅原道真は、の名手でもあり、
金閣寺を創建した足利義満や歴代の住職が、篤く北野天満宮を信仰していたといわれる
 2006年(皇紀2666)平成18年2月10日
 翌年に足利義満の600年忌を迎えるにあたり、約300年ぶりに弓祭神事が復活される



【その他】

 <きぬかけの路
 金閣寺から衣笠山に沿って龍安寺を通り、仁和寺を過ぎて、周山街道と合流する観光道路
 美観風致地区に指定されていて、四季を通じて美しい情景が楽しめる

 <近代京都文学 京都ゆかりの著書
 帰郷」    大佛次郎
 金閣寺」  三島由紀夫
 「梅雨金閣」 佐藤左千夫

 <歴史的風土保存区域
 金閣寺特別保存地区 約110ha

 <ミシュラン観光ガイドブック
 フランスのタイヤメーカのミシュラン社が発行する観光ガイドブックにおいて、三つ星の評価がされている

【金閣寺へのアクセス】

 市バス 金閣寺前 徒歩約1分
 市バス 金閣寺道 徒歩約5分





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