金閣寺(きんかくじ)は、京都市街地の北西部にある、相国寺の山外塔頭寺院
金箔を貼った3層の舎利殿「金閣(きんかく)」があることで通称が一般的で、正式名称は「鹿苑寺(ろくおんじ)」と称する
庭園、建築は、極楽浄土をこの世に表したものといわれ、北山文化の中心となっていた
境内約132,000㎡(約4万坪)の内、92,400㎡(約2万8千坪)が鹿苑寺庭園として特別名勝、特別史跡に指定されている
5月上旬の杜若、8月上旬の百日紅の花の名所
秋には紅葉の名所
<舎利殿 金閣>
<池泉回遊式庭園(国の特別史跡、特別名勝)>
<鏡湖池(きょうこち)>
<茶室 夕佳亭>
<大書院(おおじょいん)>
<陸舟の松(りくしゅうのまつ)>
<不動堂>
<総門>
<唐門>
<舟形一文字蹲踞>
<方丈>
<庫裏>
<鐘楼>
<櫟樫(いちいがし)>
<榊雲(しんうん)>
<虎渓橋(こけいきょう)>
<金閣寺垣>
<銀河泉(ぎんがせん)>
<巌下水(がんかすい)>
<竜門滝>
<安民沢(あんみんたく)>
<独鈷水(どっこすい)>
<茶所>
<胡蝶侘(こちょうわびすけ)>
<後水尾天皇宸筆>
後水尾天皇が、鳳林承章の希望によって詠まれた
「とはゝやなきぬ笹岡のあきの色を 来て見よとこそ鹿もなくらめ」
<相輪の破片>
足利義満が建立した七重塔「北山大塔」のものとみられる青銅製の飾り「相輪」の破片
北山大塔は、完成前の1416年(皇紀2076)応永23年に落雷で焼けたが、これまで遺物が見つからず幻の塔とされてきた
塔の土台はまだ確認されていない
2016年(皇紀2676)平成28年
金閣から約200m東の境内の北東隅にある室町時代の溝で、相輪の破片3個が見つかった
相輪(そうりん)は、木造の塔の最上部から突き出た青銅製の細長い装飾部分
破片は、輪が9つ重なる九輪の一部とみられる
最大の破片は、幅37.4cm、高さ24.6cmで、厚さ1.5cm、重さ約8.2kg
復元すると相輪は直径約2.4mになることから、巨大な塔だったと推定できるという
現存する木造の塔の中で最も高い、高さ55mの東寺の五重塔の宝輪は直径1.6m
破片には金メッキが施されていたことも分かった
景徐周麟(けいじょしゅうりん)が書いた文献「翰林葫蘆集(かんりんころしゅう)」には「高さは360尺(約109m)」と記されていた
足利義満は1339年(皇紀1999)延元4年/暦応2年、相国寺に七重大塔を建立した
七重大塔は高さ約109mとされ、国内で最も高い木造建築物だったという
七重大塔が落雷で焼失したため、住んでいた北山殿(現在の金閣寺)で、1404年(皇紀2064)応永11年から北山大塔の建築を始めた
塔の工事を始めたことを示す「立柱の儀」を行った記録が残っている
1408年(皇紀2068)応永15年頃には金閣もあったという
室町時代の皇族の看聞日記には「北山大塔は七重で、落雷で燃え、僧らが懸命に消火したが焼失した」などとあるが、
場所や規模は記されていない
<弓祭>
2月10日
舎利殿で、北野天満宮の神職と金閣寺の僧侶が、読経や祝詞を奏上し、梅の献花などが行われ、
北野天満宮の神職が、舎利殿に向かって鏡湖池へ仏前に供えられていた5本の矢を放ち天下太平を祈願する神事
北野天満宮に祀られている菅原道真は、弓の名手でもあり、
金閣寺を創建した足利義満や歴代の住職が、篤く北野天満宮を信仰していたといわれる
2006年(皇紀2666)平成18年2月10日
翌年に足利義満の600年忌を迎えるにあたり、約300年ぶりに弓祭神事が復活される
<きぬかけの路>
金閣寺から衣笠山に沿って龍安寺を通り、仁和寺を過ぎて、周山街道と合流する観光道路
美観風致地区に指定されていて、四季を通じて美しい情景が楽しめる
<近代京都文学 京都ゆかりの著書>
「帰郷」 大佛次郎
「金閣寺」 三島由紀夫
「梅雨金閣」 佐藤左千夫
<歴史的風土保存区域>
金閣寺特別保存地区 約110ha
<ミシュラン観光ガイドブック>
フランスのタイヤメーカのミシュラン社が発行する観光ガイドブックにおいて、三つ星の評価がされている