地図情報
 月輪寺(つきのわでら)は、愛宕山の南東、支峰の大鷲ヶ峰の中腹にある天台宗の山岳寺院
 京都盆地の西にそびえる愛宕山(標高924m)山頂の愛宕神社への表参道とは別ルートの登山道の途中に位置し、
四囲の山々の雄大な景観が広がる
 承元の法難の法然上人、親鸞聖人、九条兼実などのゆかりの寺
 浄土真宗発祥の地
 北西の裏鬼門として位置づけられ、黄泉に通じる裏鬼門の寺として、戦勝祈願の寺として、
本能寺の変の直前に明智光秀が参拝してくじを引いている
 明智光秀御手植といわれるシャクナゲ(石楠花)の名所
 京都盆地の西にそびえる愛宕山の南東、支峰の大鷲ヶ峰の中腹(標高570m)の深い山中に位置する
 麓の清滝から、山道を徒歩で1時間30分ほどかけて登り、参拝しなければならない
 <本堂>
 <愛宕権現堂>
 <三祖師堂>
 右から法然上人、円澄(九条兼実)、親鸞聖人が、形見として自らを刻んだ木造坐像を祀る
 「御三方祖師堂」の扁額がかかる
 九条家の紋がある
 <宝物殿>
 重要文化財の仏像などが安置されている
 <龍奇水(龍女水)>
 空也上人が、観音さまのお告げにより清滝川の龍神を助けたお礼として授かったとされる霊水
 屏風岩から湧く霊水は現在も絶えず、愛宕山で唯一の湧水といわれる
 <しぐれ桜(時雨桜)>
 白花一重のヤマザクラ
 親鸞聖人御手植の桜から、3代目で、樹齢80年余りといわれる
 流罪になった親鸞聖人が、養父 九条兼実を訪ね別れを告げ、自ら携えてきた桜の苗木を本堂前に植えたといわれる
 5月頃、花の終わった後の葉先から水分がしたたり落ち、惜別の悲しみから、木が涙を流しているといわれる
 <ホンシャクナゲ(本石楠花)(京都市登録天然記念物)>
 明智光秀御手植といわれ、樹齢500年
 境内の斜面にあり、根元で幹が分れ5株からなり、10×8mの範囲に広がり、樹高約4mの巨大な花株
 <楓の大木>
 樹齢1000年といわれる
 <東海自然歩道>
 登山参道
 <身助地蔵>
 登山参道の途中、空也滝と月輪寺の中間地点にある
 「霊水奇蹟之地跡」という
 <空也滝>
 <堂承川>
 <木造 阿弥陀如来坐像(重要文化財)>
 本堂内に安置されている本尊
 平安時代後期、天台宗の僧 恵心僧都 源信の作といわれる
 <木造 十一面観音菩薩立像(重要文化財)>
 平安時代中期、坂上田村麻呂の作ともいわれる
 宝物殿に安置されている
 彩色、カヤ材、一木造、154cm
 かつて、愛宕連峰の賀蔵山にあったともいわれる
 髻頂に仏頂面衣文が左右対称にあり頭上面11面になる
 蓮華座に立つ像であり、合掌手、宝珠手を含めて42臂、左右に各19臂の小手がある
 <木造 千手観音菩薩立像(重要文化財)>
 平安時代後期の作
 <木造 聖観音菩薩立像(重要文化財)>
 平安時代後期の作
 <木造 伝 善哉王立像(重要文化財)>
 平安時代後期の作
 <木造 伝 竜王立像(重要文化財)>
 平安時代後期の作
 <木造 伝 九条兼実坐像(重要文化財)>
 平安時代後期の作
 78cm
 公卿 九条兼実が払子を手に取る老僧姿で、僧形文殊菩薩像として造立されたといわれる
 三祖像の一つ
 <木造 空也上人立像(重要文化財)>
 119.1cm
 鎌倉時代の作
 六波羅蜜寺の空也上人像を模範とされており、
空也上人が常にに阿弥陀の名号を唱えていたことから、口から六体の化仏を吐き、手に鹿杖、鉦鼓で鉦を叩く姿を表している
 <三祖師像>
 法然上人と親鸞聖人が、承元の法難により流罪にされる前に、親鸞聖人の養父 九条兼実を訪ねて別れを惜しみ、
3人がそれぞれの自身の木像を刻み形見にしたといわれる
 現存する法然上人坐像、親鸞上人坐像は、江戸時代の作
 伝 九条兼実像(重要文化財)は、平安時代後期の作であるが、本来は僧形文殊菩薩像として造像されたものとされる
 <弘法大師坐像>
 本堂に安置されている
 <五大明王像(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)>
 本堂に安置されている
 <四天王像>
 本堂に安置されている
 <明智光秀のくじ>
 本能寺の変の直前に、愛宕神社を参詣し、戦勝祈願の連歌「愛宕百韻」を詠んだ明智光秀は、
月輪寺にも参拝し、くじを引いて本能寺へ向ったといわれる
 <新春護摩> 1月元旦
 <しぐれ桜法要> 4月16日から5月20日
 <永代経> 5月5日から7日
 <報恩講> 10月15日から17日
 <元愛宕大権現>
 愛宕山にあった白雲寺の愛宕権現(勝軍地蔵)は、当初このお堂に安置され、後に金蔵寺に遷された
 <法然上人二十五霊場第十八番 御詠歌>
 「月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ住む」