豊臣秀長(とよとみひでなが)
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豊臣秀長(とよとみひでなが)

生年:1540年(皇紀2200)天文9年3月2日
没年:1591年(皇紀2251)天正19年1月22日
享年:52

父親:木下弥右衛門(あるいは竹阿弥)
母親:大政所(おおまんどころ)(天瑞院)
次男

幼名:小竹(こちく)、小一郎(こいちろう)
別名:木下小一郎長秀、羽柴長秀(はしばながひで)、羽柴長秀(はしばひでなが)

兄弟:日秀、秀吉、秀長、朝日姫
正室:慈雲院
側室:光秀尼(秋篠伝左衛門の娘)

官位:従二位 権大納言
通称:大和大納言

出身:尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)
墓所:大徳寺塔頭 大光院

 豊臣秀長(とよとみひでなが)は、戦国時代から桃山時代の武将・大名

 織田信長に、3歳上の兄 秀吉とともに仕えて、秀吉の補佐や代理も務めて多くの戦功を挙げた

 豊臣政権においては、内外の政務と軍事両面で活躍し、豊臣秀吉の天下統一に貢献した

 天下人となった豊臣秀吉に異を唱えられる貴重な人物で、諸大名から秀吉へのとりなし役となっていた

 大和国・紀伊国・和泉国・河内国の一部を領する約110万石の大大名となる

 名前は、木下小一郎長秀、羽柴長秀、羽柴秀長、豊臣秀長と改名している

【豊臣秀長の歴史・経緯】



【豊臣秀長】

 <名前の移り変わり>
 当初:木下弥右衛門
 織田信長の家臣となり、信長の「長」と、木下秀吉の「秀」から:木下小一郎長秀
 兄 秀吉から、同じ「羽柴」の姓を与えられ:羽柴長秀
 織田信長が討たれ、兄が後継者として示すため、改名させられ:羽柴秀長
 秀吉正親町天皇から豊臣姓を賜った後:豊臣秀長

 <母親>
 大政所(おおまんどころ)(天瑞院)
 豊臣秀吉・豊臣秀長・瑞龍院日秀・朝日姫の生母
 兄 秀吉と、同父同母か異父同母か不詳

 <正室>
 慈雲院(じうんいん)

 <側室>
 光秀尼(摂取院光秀、興俊尼):秋篠伝左衛門の娘

 <実子>
 木下与一郎(羽柴与一郎):母親は慈雲院といわれる
 豊臣秀保室:母親は光秀尼
 大善院(おきく):母親は不明、毛利秀元に嫁ぐ

 <養子>
 藤堂高吉:丹羽長秀の三男、秀長の死後の藤堂高虎の養子となる
 豊臣秀保:秀長の姉 智と三好吉房の子、秀長の娘を妻とし、秀長の後継者となる
 智勝院(岩):名古屋山三郎の妹、秀長の子 羽柴与一郎の妻となり、与一郎の死後、秀長の養女となる

 <家臣三家老>
 横浜一庵(5万石)
 羽田正親(4万8千石)
 小川下野守(3万5千石)

 <家臣>
 藤堂高虎(2万石)
 宇多頼忠(1万3千石)
 桑山重晴(2万石)
 など

【豊臣秀長ゆかりの地】

 <大徳寺塔頭 大光院
 豊臣秀長の養子 後継者となった豊臣秀保の創始
 豊臣秀長の菩提寺とされる
 墓地には、豊臣秀長の五輪石塔が立つ
 客殿には、豊臣秀長画像、豊臣秀長木像が祀られている


 <古渓宗陳
 1591年(皇紀2251)天正19年
 豊臣秀長の葬儀の導師を務める

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