天王山(てんのうざん)は、山城国(京都府)と摂津国(大阪府)の国境が西腹にある山
京都盆地の西辺となる西山山系の南端に位置し、南東には男山がある
陸上・水上交通路を含め近畿圏最大の大動脈である京阪間のほぼすべての交通路が通り、都に入る要衝
名称は、中腹に牛頭天王を祀る山崎天王社(自玉手祭来酒解神社)があることにちなんで名付けられた
明智光秀と豊臣秀吉との山崎の戦いが行われ、後年の軍記などで「天下分け目の天王山」と称されるようになる
<天王山>
標高270.4m
京都盆地の西辺となる西山山系の南端に位置する
天王山の下には、名神高速道路の天王山トンネルが通り、
東側には、大山崎JCT/ICがあり、京滋バイパスが宇治・草津方面へ、京都縦貫自動車道が綾部・宮津方面へ分岐する
東側は、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる三川合流地点がある
三川の右岸にJR京都線(東海道本線)、東海道新幹線、阪急電車京都線、国道171号(西国街道)が、
左岸には、京阪電車本線、旧国道1号(京街道)と、
陸上・水上交通路を含め近畿圏最大の大動脈である京阪間のほぼすべての交通路が通る要衝
天王山・大山崎の地は、豊富な地下水に恵まれており、
千利休が茶室「待庵(国宝)」を営んだり、南麓の大阪府側には、サントリー山崎蒸溜所がある
<京都の自然200選 歴史的自然環境部門>
天王山の東斜面にシイなどの自然林が広がっている
<阪急電車 京都線 大山崎駅>
<大山崎歴史資料館>
<JR京都線 山崎駅>
<天王山登り口>
山頂まで約1時間の「天王山ハイキングコース」として整備されている
<大念寺>
<宝積寺>
<観音寺(山崎聖天)>
桜の名所
<青木葉谷展望広場(あおきばだにてんぼうひろば)>
登り道の六合目付近にある
桂川・宇治川・木津川が合流し淀川になる三川合流地帯、大阪平野が一望できる
<旗立松展望台(はたたてまつてんぼうだい)>
登り道の八合目付近にある
山崎の戦いにおいて明智光秀と豊臣秀吉との両軍が布陣していた古戦場や、三川合流地帯が展望できる
景色は「京都の自然二百選」に選ばれている
<旗立松>
酒解神社の鳥居の近くに立つ松の木
山崎の戦いのときに、秀吉軍が自軍の士気を高めるために、老松の樹の上高くに千成瓢箪の旗印を掲げた
現在は7代目の松の木がある
<十七烈士の墓(じゅうしちれっしのはか)>
鳥羽・伏見の戦いに敗れ、天王山中で自刃した隊長 真木和泉守以下17名のお墓
<自玉手祭来酒解神社>
山頂より約100mほど下ったところ
神輿庫(重要文化財)は、鎌倉時代の日本にある板倉式倉庫としては最古のもの
<天王山山頂 山崎城跡>
天守台や土塁、礎石、五輪の塔、石仏、墓石、井戸などの山崎城跡が見つかっている
<龍神の池>
<奥の山展望広場>
<小倉神社>
<鳥居前古墳>
<大山崎町鳥居前>
<阪急電車 西山天王山駅>
<天下分け目の天王山>
勝負を決する大事な場面や時、勝負どころの分岐点を意味する
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と、中国大返しをしてきた豊臣秀吉との山崎の戦いが行われたことによる
後年の軍記・物語により「天王山を制した方が天下を取ることになる」と記される
豊臣秀吉の本陣は、天王山中腹の宝積寺に置かれた
主戦場は、天王山の東山麓の大山崎東方の湿地帯(現在の大山崎JCTのあたり)で対峙した
<山崎の戦い>
肥後細川家に伝わる「明智光秀公家譜覚書」によると
明智光秀は、本能寺の変の後、朝廷に参内して、従三位・中将に叙任された上で、征夷大将軍の宣下を受けたと記されている
明智光秀は、本能寺の変の翌日には、大山崎の町に、戦火から守る禁制を出しており、
豊臣秀吉と山崎の地で戦うことを、あらかじめ示し合わせてあったといわれる
明智光秀は、本能寺の変で、朝敵・仏敵となっていた信長の恐政を絶ち、豊臣秀吉・徳川家康に安定的な世の平定を託したといわれる