北野廃寺跡(きたのはいじあと)は、飛鳥時代に創建された京都盆地における最古級の寺院跡
北野白梅町交差点(西大路通と今出川通)の東北側に石碑が立てられている
蜂岡寺(本広隆寺)(広隆寺の前身)だったともいわれる
平安京造営のために、太秦に遷り広隆寺と統合され、跡地に野寺(常住寺)が建立されたとされる
寺域は、石碑が立つ北野白梅町交差点を中心として、約225m四方の範囲だったと推定される
出土した瓦の飛鳥時代軒丸瓦は、京都盆地で出土された唯一のもの
飛鳥時代に創建された京都盆地における最古級の寺院跡
太秦からの台地の東端に位置していた
北野白梅町交差点(西大路通と今出川通)を中心として、約225m四方の範囲だったと推定される
中心には瓦積基壇(かわらづみきだん)が検出されている
<講堂>
東西4間、南北2間以上の大きさがあったと推定される
<窯窯>
寺域の南西にある
窯窯4基:飛鳥時代から平安時代のもの
平窯2基:平安時代のもの
北野廃寺瓦窯で勅旨所系軒瓦が焼かれ、多くの瓦が供給されていたといわれる
<石碑「北野廃寺跡(きたのはいじあと)」>
北野白梅町交差点(西大路通と今出川通)の東北側にある
建立年:1977年(皇紀2637)昭和52年11月
建立者:京都信用金庫
大きさ:高さ101cm × 幅19cm × 奥行19cm
碑文:
(南側)北野廃寺跡
(西側)調査 昭和五十二年三月~五月 財団法人京都市埋蔵文化財研究所
(北側)昭和五十二年十一月吉日 京都信用金庫北野支店新築記念
<瓦>
出土した飛鳥時代軒丸瓦は京都盆地における唯一の検出例
高句麗系と百済系の二系統ある
1936年(皇紀2596)昭和11年1月
京都市電大路線敷設に伴い、最初の発掘調査が行われる
北野白梅町交差点の北20mから50m地点で飛鳥時代の堆積層から大量の瓦が出土した
1958年(皇紀2618)昭和33年
飛鳥時代の十葉素弁蓮華文軒丸瓦が発見された
1963年(皇紀2623)昭和38年
国立京都国際会館の建設に伴う岩倉の瓦窯「幡枝窯址」の発掘調査により、北野廃寺の創建時に使われた瓦がここで焼かれていたことが確認された
<瓦積基壇(かわらづみきだん)>
北野白梅町交差点を中心として225m四方の寺域があったとみられ、中心には瓦積基壇が検出されている
1965年(皇紀2625)昭和40年の検出
<溝状遺構>
1974年(皇紀2634)昭和49年・1975年(皇紀2635)昭和50年の発掘
<陶器・土師器>
1977年(皇紀2637)昭和52年
北野白梅町で平安時代前期の「鵤室(いかるがむろ)」と墨書された灰釉陶器が検出される
1979年(皇紀2639)昭和54年
「野寺」と墨書された平安時代前期の土師器が発掘された
<仏像塑像>