秦河勝(はたのかわかつ)(Hatano Kawakatsu)

生没年:不詳(6世紀後半から7世紀半ば)

本拠地:山城国葛野郡(かどのぐん)太秦(うずまさ)

 秦河勝(はたのかわかつ)は、奈良時代に大和王権で活躍した秦氏出身の豪族

 朝鮮半島から渡来した渡来人集団 秦氏の族長的人物

 聖徳太子のブレーンとして活躍した

 富裕な商人で、朝廷の財政に関わっていたといわれ、その財力により平安京の造成にも関わったといわれる

【秦河勝のゆかりの地】

 <広隆寺
 秦河勝が、聖徳太子から弥勒菩薩半跏思惟像(国宝1号)を賜り、蜂岡寺を造営したのが由来
 「広隆寺由来記」によると、「広隆」は秦河勝の実名とされる


 <放生院
 聖徳太子の発願により、秦河勝が創建したといわれる


 <川勝寺>
 右京区西京極にあり、かつての川勝寺村で、住民の多くは秦河勝の子孫とされる
 近隣には「秦河勝終焉之地」の碑がある


 <内裏
 紫宸殿の前の右近の橘(うこんのたちばな)は、秦河勝の邸宅にあったとわれる
 平安京遷都以前から、いい土地を所有していたといわれる


 <松尾神社
 秦河勝が、聖徳太子の命により創祀したことが由来とされる

【その他】

 <風姿花伝
 世阿弥が著したの理論書
 それによると、聖徳太子が、秦河勝に命じて、諸人快楽(しょにんけらく)のために六十六番の遊宴を行い、
これを「申楽」と名付けた

 その後、秦河勝の子孫がこの芸を継いで、春日神社と日吉神社の神職となってこれを守っている
 と、記されている

 <金春家>
 秦河勝を猿楽の祖として、秦河勝の末裔といわれている


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