祇王寺(ぎおうじ)は、奥嵯峨の小倉山の東麓の竹林にある寺院
「平家物語」に登場する平清盛に寵愛を受けた祇王らが尼僧として余生を過ごしたといわれる
かつての往生院の境内で「平家物語」の遺跡
竹と楓に囲まれており紅葉の名所でもある
<本堂>
本尊の大日如来像、平清盛と、祗王、刀自、祗女、仏御前の木像が安置されている
「控の間」には、円い窓の吉野窓があり、影が虹の色に現れることで「虹の窓」ともいわれる
1895年(皇紀2555)明治28年
儒学者 富岡鉄斎などの尽力によりに建立される
<宝篋印塔(ほうきょういんとう)>
左側に、祗王・祗女・刀自のお墓がある
右側は、平清盛の五輪の供養塔が立っている
両方ともに、鎌倉時代の作
<妓王妓女仏刀自之旧跡の碑>
宝篋印塔の前に立つ
碑には「妓王妓女仏刀自の旧跡 明和八年辛卯正当六百年忌、往生院現住、法専建之」
右側に「性如禅尼承安二年壬辰八年十五日寂」と刻んである
1771年(皇紀2431)明和8年
往生院法専尼により建立される
<祗王桜>
<智照尼の顕彰碑>
智照尼は、瀬戸内寂聴さんの「女徳」のモデルにもなった高岡智照尼
1936年(皇紀2596)昭和11年7月
祇王寺の庵主となり再興する
1969年(皇紀2629)昭和44年
大覚寺によって顕彰碑が建てられる
1973年(皇紀2633)昭和48年
88歳のときに、12歳からの過去を綴った赤裸々な内容の「祇王寺日記」を著する
<黒髪塚>
高岡智照尼の供養塚
<大日如来像>
本尊
<木造 祇王像>
眼には水晶(玉眼)が入っている
鎌倉時代末期の作
<木造 祇女像>
眼には水晶(玉眼)が入っている
鎌倉時代末期の作
<木造 平清盛像>
<木造 刀自像>
<木造 仏御前像>
<平家物語>
平安時代末期
平家の全盛の頃
近江国野洲の江部荘(えべのしょう)の庄司の家に生まれた祇王と祇女
父親が、北陸に流され、母とともに京に出て白拍子(歌舞を歌い踊る遊女)となる
その後、祇王は、平清盛の寵愛を受けるようになり、西八条に屋敷を与えられ、母親の刀自と妹の祗女も呼び寄せ、
何不自由のない生活を送っていた
故郷が水不足となったときには、平清盛に水利工事を願い、野洲川から水路が造られ、現在も祇王井川となっている
ところが、若く美しい声で妖艶な舞をする加賀国の白拍子 仏御前が現われ、平清盛の心が仏御前に移ってしまう
世の無情を知った祗王は、祗女と刀自の3人で、世を捨て尼になり、往生院(現在の祇王寺)で仏門に入る
この時、祗王は21歳、祗女が19歳、刀自は45歳、仏御前は17歳といわれる
その後、同じように世の無常を感じた仏御前も、祗王を訪ねてきて仏門に入り、4人は往生院で念仏三昧の余生を送ったといわれる
<祇王寺日記>
著者:智照尼
1973年(皇紀2633)昭和48年
88歳のときに、12歳からの過去を綴った赤裸々な内容の「祇王寺日記」を著する
<智照尼>
1896年(皇紀2556)明治29年
奈良県の生まれ、本名は、高岡たつ子
12歳から大阪宗右衛門町の置屋で芸者の芸を仕込まれ、13歳で、千代葉という名でお披露目
その後、東京新橋で「照葉」と名乗り芸妓となり、その美貌から、公家政治家 西園寺公望、陸軍軍人政治家 桂太郎、
第20代内閣総理大臣 高橋是清などの得意客を持つ
結婚して渡米し離婚、映画女優などになる
28歳のとき自殺未遂し、その後、5年間の仏門修業をしたり、俳人 高浜虚子の門下として俳句を学ぶ
1934年(皇紀2594)昭和9年、39歳のときに出家、奈良真言宗久米寺で得度する
1936年(皇紀2596)昭和11年7月から祇王寺の庵主となり再興する
1963年(皇紀2623)昭和38年に瀬戸内寂聴さんの「女徳」のモデルとなる
1973年(皇紀2633)昭和48年、88歳のときに、「祇王寺日記」を著する