道昌(どうしょう)(Dousyou)

平安時代初期の真言宗の僧

生年:798年(皇紀1458)延暦17年3月8日
没年:875年(皇紀1535)貞観17年2月9日
享年:78

俗姓:秦氏
通称:道昌僧正(どうしょうそうじょう)

師:弘法大師空海
僧階:少僧都(しょうそうず)

出身:讃岐国香川郡香河郡

 道昌(どうしょう)は、平安時代初期の真言宗の僧

 渡来系氏族秦氏の出身で、弘法大師空海の高弟

【道昌の歴史・経緯】

【道昌僧正】

 <宮中仏名懺悔の導師>
 仏名会に参列した折に淳和天皇に召され、
 淳和天皇から「君主の殺生と臣下の殺生のどちらが罪が重いのか?」と尋ねられ、
 「君主は己の贅沢のために殺生を行い、その罪は重い
 臣下の中には生活のためにやむを得ず殺生を行う者もいるが、君主はそれすら禁止している
 従って、君主による山沢からの供御のほうが殺生の罪が深い」と説いた
 淳和天皇は、贅沢のための殺生を戒め倹約を行い、貧しい者が狩漁によって食を得ることを許したという
 道昌は、宮中の仏名懺悔の導師となる
 後に、淳和天皇皇子の恒貞親王が、承和の変で廃太子とされ出家したとき、道昌が弟子に迎えている


 <行基の再来>
 勅願により大堰川(桂川)の堤防を改修して船筏の便を開き、
 洪水対策として堤防を改築するなどし、桂・川岡・向日の荒地に水を引き田畑を開拓したことなどから、
「行基の再来」と称された


 <虚空蔵菩薩
 道昌は、空海から「虚空蔵菩薩の霊験ある相応の地は嵯峨葛井寺である」とのお示教を受けて、
大悲の願力を発起して、虚空蔵求聞持法百日間参篭修行を行われた
 (山中などに篭もり、虚空蔵菩薩の御真言(まんとら)を百万遍唱える修行)
 満願の日の暁天に、道昌は、生身の虚空蔵菩薩を空中に感得し、一木を彫って虚空蔵尊像を仕上げて、
神護寺において、空海自らによる供養を経て、葛井寺に安置され、祀られたといわれる


【道昌ゆかりの地】

 <法輪寺
 空海から「虚空蔵菩薩の霊験ある相応の地は嵯峨葛井寺である」とのお示教を受けて、
道昌が、虚空蔵菩薩像を刻み安置して再興した


 <渡月橋
 道昌が、嵐山の中腹にある葛井寺(かどのいでら)(後の法輪寺)への大堰川に架けた橋
 亀山上皇が、この橋を見て「くまなき月の渡るに似たり」として「渡月橋」と命名されたとされる


 <法輪寺道昌遺業大堰阯(ほうりんじどうしょういぎょうおおいあと)>
 右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町
 道昌が造った大堰の跡を示す石標「法輪寺道昌遺業大堰阯」が立つ


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