霊源院(れいげんいん)(ReigenIn)

所在地:京都市東山区大和大路四条下ル小松町   卍地図情報卍

臨済宗 建仁寺塔頭

本尊:薬師如来

開基:一庵一麟

勧請開山:龍山徳見和尚

旧別称:妙喜世界

 霊源院(れいげんいん)は、東山にある建仁寺境内の南東にある塔頭

 学問面と称される建仁寺の漢文学・五山文学の中核を担い多くの学僧を輩出した

 甘茶の花が咲く5月中旬頃に特別公開される

【霊源院の歴史・経緯】

【霊源院の伽藍】

 <本堂>
 京都五山を究めた高僧を多数輩出した学びの場
 「関」の墨蹟の衝立が立てられている

 <茶室「也足軒(やそくけん)」>
 四畳半、二畳台目、本堂内に躙口が南面している珍しい構造
 1912年(皇紀2572)大正元年

 <茶室「妙喜庵」>
 本堂南にある
 一畳台目、壁の一面に花頭窓が開けられている
 点前に必要な道具畳、お客が座る一畳だけに切り詰められ「究極の茶室」といわれる

 <甘露庭(かんろてい)>
 本堂前、境内の南西にある枯山水庭園
 仏陀釈尊の生誕から入滅までが表現されている
 苔地に、石、飛石、蹲踞が置かれ、甘茶が多く植えられ、花梨や松の植栽がある


【霊源院の寺宝】

 <木造中巌円月坐像(重要文化財)>
 木像、玉眼
 妙喜世界を創建した中巌円月のの晩年、没後間もない時期の製作といわれる
 頭部は写実的で、玉眼をはめ込んだ表情など写実性に優れた傑作とされる
 伝統的な技法を継承する 南北朝時代の肖像彫刻
 作者は七条仏所仏師 康俊などの作といわれる

 <毘沙門天立像(京都府登録文化財)>
 木造、彩色、玉眼、像高37.5cm
 中巌円月坐像の胎内に納められていた胎内仏
 動きのある衣の表現があり、細部にまで丁寧な彫刻が施されている
 左手に水晶の玉を掲げ、その中に最澄が持ち帰ったといわれる仏舎利が納められている
 鋭い眼光を放ち、左腰を傾ける
 胸甲を吊る帯部分は金属製
 鎌倉時代に慶派仏師によって制作された
 1996年(皇紀2656)平成8年の中巌円月坐像修理のときに発見された
 京都国立博物館寄託

 <天井画「黒龍図」>
 水墨画で龍が2匹描かれている
 12畳(縦3.8m、横5.9m)
 中国人ビジュアルアーティスト 陳萬(チェンマン)が北京で描いたもの
 2001年(皇紀2661)平成13年に公開された

 <紙本墨書「与龍崇之安名」>
 正宗龍統筆
 1474年(皇紀2134)文明6年と1535年(皇紀2195)天文4年の2つの作がある

 <紙本墨書「常庵龍之安名」>
 正宗龍統筆
 1515年(皇紀2175)永正12年

 <絹本墨画「達磨図」>
 1443年(皇紀2103)嘉吉3年
 7代将軍 足利義勝が、10歳の時に家臣に描き与えたという墨画
 江西龍派の賛がある

 <紙本淡彩「文殊像」>
 江西龍派賛

 <詩文集「松山集」草稿本(重要文化財)>
 竜泉冷淬の筆

 <掛軸「柳沢元政像」>
 1599年(皇紀2259)慶長4年作

 <掛軸「元政の妻」>
 1611年(皇紀2271)慶長16年作

 <墨書「錦心繍口向人開」>
 一休宗純の筆
 一休宗純は、幼い時に、霊源院の慕哲龍攀より作詩を学んだといわれる

 <水墨画「縄衣文殊像」>
 <水墨画「柳澤元政夫妻像」>

 <扁額「妙喜世界」>
 東方妙喜世界(とうほうみょうきせかい)には、五智如来の一つ阿閦(あしゅく)が住むとされる
 仏像では、触地印(右手を下げ指先が地に触れる)を結び、左手で衣の端を握っている

 <墨蹟「関」衝立>
 「関」とは、玄関の意味があり、「玄関」は禅宗の寺院建築が由来
 「碧巌録(へきがんろく)」によると、玄関とは、玄妙なる関の意味があり、禅門に入り厳しい修業に耐える決意を意味する
 「関」の一字は常に初心に還ることを自戒させているといわれる

【霊源院へのアクセス】

 市バス 東山安井 徒歩約5分
 京阪電車 祇園四条駅 徒歩約10分
 阪急電車 河原町駅 徒歩約10分

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