古事記(こじき)伊邪那岐命と伊邪那美命(イザナキノミコトとイザナミノミコト)

古事記の神話

掲載:上巻(こじきかみつまき)

著者:太朝臣安万侶(おおのあそみやすまろ)(太安萬侶)(おほのやすまろ)

 「伊邪那岐命と伊邪那美命(イザナキノミコトとイザナミノミコト)」のことは、「古事記」の上巻に記されている

 伊邪那岐命伊邪那美命は、神世七代の最後に男女神として現れ、日本国土の国生み、多くの神生みを行う

 火の神を生んだことで死んでしまった伊邪那美命に会いに黄泉の国へ行った伊邪那岐命が、逃げ帰り、禊払いを行い、
天照大御神月読命須佐之男命の三貴子が現れる

【古事記の原文】


【国土の修理国成】

 そこで天神(あまつかみ)らは命(みこと)によって、伊邪那岐命伊邪那美命の二柱の神に、
「この多陀用弊流国(ただよえるくに)(漂っている国土)を修め理り(つくり)(造り)固め成せ」と言って、
天沼矛(あめのぬぼこ)を与えて言依(ことより)(委任)した
 そこで、二柱の神は天浮橋(あめのうきはし)に立って、その沼矛(ぬぼこ)を指し下ろして畫き(かき)(掻き回し)、
塩許々袁々呂々邇(しをころころに)と畫き鳴らした(掻き回した)
 そして引き上げると、その矛の先から垂り(したたり)落ちた塩が積もり累なり(重なって)嶋となった
 これが淤能碁呂嶋(おのごろしま)である

【伊邪那岐命と伊邪那美命の神婚】

 その島(淤能碁呂嶋)に天降り坐して(まして)、天の御柱を見立て(建てて)、八尋殿(やひろどの)も見立てた
 そこで、その妻の伊邪那美命に「あなたの体は如何に成っているか?」と問うと、
「私の体は、成り成りて成り合はざる処が一処あります」と答えた
 そして、伊邪那岐命は、「私の体は、成り成りて成り余れる処が一処あります
だから、この私の体の成り余れる処を、あなたの体の成り合はざる処に刺し塞いで、国土を生み成そうと思う
生むことはどうでしょう」と言う
 伊邪那美命は、「それがよいでしょう」と答えた
 そして、伊邪那岐命は、「それらば私とあなたとこの天の御柱を行って廻り逢って、美斗(みと)(御所)で
麻具波比(まぐはひ)(交じり合い)しましょう)」と言う
 そのように約束して、「あなたは右から廻って、私は左より回って逢いましょう」と言う
 約束したように廻って、伊邪那美命が先に「ああ、本当になんといい男でしょう」と言い、
後から伊邪那岐命が「ああ、本当になんといい女だ」と言い、それぞれが言い終わった後、
「女子が先に言うのは良くない」と告げる
 それでも、久美度邇(くみどに)(寝所)で興して生める子は、水蛭子(ひるこ)だった
 この子は、葦船に入れて流し去る
 次に、淡島を生んだ
 この子もまた、子供とされなかった

【伊邪那岐命と伊邪那美命の国生み】

 そこで二柱の神は相談して「今私達が生んだ子は良くなかった、猶(なお)(やはり)天つ神の御所(みもと)で
白しめさん(尋ねよう)」と言って、すぐに共に参上(まいのぼ)って、天つ神の命(みこと)を尋ねた
 ここに天つ神の命で、布斗麻邇(ふとまに)で卜相(卜占)して、「女性が先に言うことが良くない、
また降り帰って改めて言いなさい」と言った
 そこで還り降りて、もう一度その天の御柱を先程と同じように往き廻った
 ここに伊邪那岐命は、先に「ああ、本当になんといい女だ」と言い、
後に伊邪那美命が、「ああ、本当になんといい男でしょう」と言う
 こう言い終わった後、御合(みあひ)して(交わって)生める子は、淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)
 次に、伊予之二名島(いよのふたなのしま)を生む
 この島は、体は一つだが、面(おも)(顔)が4つあり、顔ごとに名前があり、
 伊予国は愛比売(えひめ)といい、讃岐国は飯依比古(いひよりひこ)といい、粟国は大宜都比売(おほげつひめ)といい、
土佐国は建依別(たけよりわけ)という
 次に、隠伎之三子島(おきのみつごのしま)を生み、またの名は天之忍許呂別(あめのおしころわけ)という
 次に、筑紫島を生み、この島もまた、体が一つで面(おも)(顔)が4つあり、顔ごとに名前があった
 その筑紫国は白日別(しらひわけ)といい、豊国(とよくに)は豊日別(とよひわけ)といい、
肥国(ひのくに)は建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)といい
熊曽国(くまそのくに)は建日別(たけひわけ)という
 次に、伊伎島を生み、またの名は天比登都柱(あめひとつばしら)という
 次に、津島を生み、またの名を天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)という
 次に、佐渡島を生む
 次に、大倭豊秋津島(おほやまととよあきづしま)を生み、
またの名は天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきづねわけ)という
 この八島を先に生んだことから、これらを大八島国(おおやしまぐに)という


 しばらくしてから、(淤能碁呂島に)還ります時、吉備児島(きびのこじま)を生み、またの名は建日方別(たけひかたわけ)という
 次に、小豆島(あづきじま)を生み、またの名は大野手比売(おほのでひめ)という
 次に、大島を生み、またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)という
 次に、女島(ひめじま)を生み、またの名は天一根(あめひとつね)という
 次に、知訶島(ちかのしま)を生み、またの名は天之忍男(あめのおしを)という
 次に、両児島(ふたごのしま)を生み、またの名は天両屋(あめふたや)という
 吉備児嶋より天両屋嶋まで併せて六島

【伊邪那岐命と伊邪那美命の神生み】

 既に国を生み終えて、更に神を生んだ
 その、生んだ神の名は、大事忍男神(オホコトオシヲ)
 次に、石土毘古神(イハツチビコ)を生む
 次に、石巣比売神(イワスヒメ)を生み、次に大戸日別神(オホトヒワケ)を生み、次に天之吹男神(アメノフキヲ)を生み、
次に大屋毘古神(オオヤビコ)を生み、次に風木津別之忍男神(カザモツワケノオシヲ)を生んだ
 次に、海の神、名は大綿津見神(オホワタツミ)を生み、次に水戸神(ミナトノカミ)、名は速秋津日子神(ハヤアキヅヒコ)、
次に女性の速秋津比売神(イモハヤアキヅヒメ)を生んだ
 大事忍男神から秋津比賣神まで併せて十神


 この速秋津日子神と速秋津比売神の二神が、河と海を分担して生んだ神の名は、沫那芸神(アワナギ)
 次に、沫那美神(アワナミ)、次に頬那芸神(ツラナギ)、次に頬那美神(ツラナミ)、
 次に、天之水分神(アマノミクマリ)、次に国之水分神(クニノミクマリ)、次に天之久比奢母智神(アメノクヒザモチ)、
 次に、国之久比奢母智神(クニノクヒザモチ)
 沫那芸神から国之久比奢母智神まで併せて八神


 次に、風の神を生み、名は志那都比古神(シナツヒコ)
 次に、木の神を生み、名は久久能智神(ククノチ)
 次に、山の神を生み、名は大山津見神
 次に、野の神を生み、名は鹿屋野比売神(カヤノヒメ)、また名は野椎神(ノヅチ)という
 志那都比古神から野椎神まで併せて四神


 この大山津見神と、野椎神の二神が、山と野を分担して生んだ神の名は、天之狭土神(アメノサヅチ)
 次に、国之狭土神(クニノサヅチ)、次に天之狭霧神(アメノサギリ)、次に国之狭霧神(クニノサギリ)、
次に天之闇戸神(アメノクラド)、次に国之闇戸神(クニノクラド)、次に大戸惑子神(オホトマトヒコ)、
次に大戸惑女神(オホトマトヒメ)
 天之狭土神から大戸惑女神まで併せて八神である


 次に生める神の名は、鳥之石楠船神(トリノイワクスブネ)、またの名は天鳥船(アメノトリフネ)という
 次に、大宜都比売神(オホゲツヒメ)を生む
 次に、火之夜芸速男神(ヒノヤギハヤヲ)を生み、またの名は火之炫毘古神(ヒノカガビコ)といい、
またの名は火之迦具土神(ヒノカグツチ)という
 この子を生んだことによって、美蕃登(みほと)(陰部)を炙かれて病に臥せてしまう
 多具理邇(たぐりに)(嘔吐)から生まれた神の名は、金山毘古神(カナヤマビコ)、次に、金山毘売神(カナヤマビメ)
 次に、屎(くそ)(糞)から生まれた神の名は、波邇夜須毘古神(ハニヤスビコ)、次に波邇夜須毘売神(ハニヤスビメ)
 次に、尿(ゆまり)から生まれた神の名は、弥都波能売神(ミツハノメ)
 次に、和久産巣日神(ワクムスビ)、この神の子は、豊宇気毘売神という
 そして、伊邪那美神は、火の神を生んだことによって、遂に神避される(亡くなられた)
 天鳥船から豊宇気毘売神まで併せて八神である


 凡べて伊邪那岐伊邪那美の二神が共に生んだ島は十四島、神は三十五神である
 これらは伊邪那美神が、まだ神避される(亡くなられる)前に生んだ
 ただし、意能碁呂嶋(おのごろしま)は生んだものではない
 また、蛭子(ひるこ)と淡嶋(あわしま)も子の数には入らない


 そこで伊邪那岐命は、「愛しい我が那邇妹(なにも)(女性)の命を、子の一人に替えてしまうとは」と言って
枕元に匍匐(はらば)って、足元にはらばって泣いたとき、その涙から成りいでた神は、
香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木の本に鎮座して、名前は、泣沢女神(ナキサハメ)という
 そして、神避された(亡くなられた)伊邪那美神は、出雲国と伯伎国(ははきのくに)との堺の比婆(ひば)の山に葬られた

【火神迦具土神】

 そして、伊邪那岐命は、御佩(みはか)しませる(持っていた)十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、
その子、迦具土神(かぐつち)の頸を斬った
 そこで、その御刀の先に著いた(ついた)血が、湯津石村(ゆついはむら)(五百個の岩々に)に走り就きて(飛び散って)、
成りいでた神の名は、石拆神(イハサク)
 次に、根拆神(ネサク)
 次に、石筒之男神(イハツツノヲ)の三柱
 次に、御刀の根元についた血もまた、湯津石村に走り就きて、成りいでた神の名は、甕速日神(ミカハヤヒ)
 次に、樋速日神(ヒハヤヒ)
 次に、建御雷之男神、またの名は建布都神(タケフツ)、またの名は豊布都神(トヨフツ)の三柱
 次に、御刀の手上(たがみ)(柄)に集まった血が、手俣(たなまた)(指の間)から漏れ出て成りいでた神の名は、闇淤加美神
 次に、闇御津羽神(クラミツハ)
 上の件の石拆神から闇御津羽神までの併せて八神は、御刀によって生まれた神である


 殺された迦具土神(カグツチ)の頭から成りいでた神の名は、正鹿山津見神(マサカヤマツミ)
 次に、胸から成りいでた神の名は、淤縢山津見神(オドヤマツミ)
 次に、腹から成りいでた神の名は、奥山津見神(オクヤマツミ)
 次に、陰部から成りいでた神の名は、闇山津見神(クラヤマツミ)
 次に、左手から成りいでた神の名は、志芸山津見神(シギヤマツミ)
 次に、右手から成りいでた神の名は、羽山津見神(ハヤマツミ)
 次に、左足から成りいでた神の名は、原山津見神(ハラヤマツミ)
 次に、右足から成りいでた神の名は、戸山津見神(トヤマツミ)
 正鹿山津見神から戸山津見神まで併せて八神
 その、斬った刀の名は、天之尾羽張(あめのをはばり)といい、またの名を伊都之尾羽張(いつのをはばり)という

【黄泉国】

 そこで、その妻の伊邪那美命に会いたいと思って、黄泉国(よみのくに)に追い訪れた
 そして、御殿の縢戸(とざしど)から出迎えを受けて、伊邪那岐命が、「愛しい我が那邇妹(なにも)(女性)の命(みこと)
私とあなたとで作った国は、まだ作り終えていない、なので帰るべきだ」と語った
 すると伊邪那美命は、「残念です、早く来てくれずに、私は黄泉戸喫(よもつへぐひ)をしてしまいました
しかし、愛しい我が那勢(なせ)(男性)の命(みこと)が、入り来てくれたことは恐縮です
 それ故、帰ろうと思うので、且く(しばらく)黄泉神と黄泉神(よもつがみ)相談してみます
 ただし、私を見てはいけません」と答え白しめた(申し上げた)


 このように白しめて(申し上げて)、その御殿の中に入り戻ったが、甚久しくて(いとひさしくて)待ち難たくなった
 そこで、左の御美豆良(みみづら)(髪を左右に分けて耳のところで結った髪)に挿してあった湯津津間櫛(ゆつつまぐし)
(爪の多い櫛)の男柱の一箇(櫛の太い歯の1本)を
取り闕きて(折って取って)、一つ火を燭して入って見ると、宇士多加礼許呂呂岐弖(うじたかれころろきて)
(蛆がたかって咽び泣いていた)
 そして、頭には大雷(オホイカヅチ)が居て、胸には火雷(ホノイカヅチ)が居て、腹には黒雷(クロイカヅチ)が居て、
陰(ほと)には拆雷(サクイカヅチ)が居て、左の手には若雷(ワカイカヅチ)が居て、右の手には土雷(ツチイカヅチ)が居て、
左の足には鳴雷(ナルイカヅチ)が居て、右の足には伏雷(フスイカヅチ)が居て、
併せて八雷神(やくさのいかづち)が成り出でて居た


 これに、伊邪那岐命は、見て恐れて逃げ帰ろうとすると、その妻の伊邪那美命は、「私に恥をかかせたな」と言って、
すぐに、予母都志許売(よもつしこめ)(黄泉国の恐ろしい女性)を遣わして追いかけさせた
 そこで、伊邪那岐命が、黒御口(みかづら)(髪に巻き付ける頭飾り)を取って投げ棄てると、
そこから蒲子(えびかづらのみ)(葡萄)が生えた
 これを拾って食べている間に、逃げ進んだが、なお追いかけてきたので、また、右の御美豆良(みづら)(結った髪)に
挿していた湯津津間櫛(ゆつつまぐし)(爪の多い櫛)を引闕いて(ひっかいて)投げ棄てると、笋(筍)(たけのこ)が生えた
 これを抜いて食べている間に逃げ進んだ


 その後に、その八雷神(やくさのいかづち)に千五百の(多くの)黄泉軍(よもついくさ)を副へて(そえて)(従わせて)
追いかけさせた
 そこで、御佩せる(はかせる)(持っていた)十拳劔(とつかのつるぎ)を抜いて、後ろを布伎都都(ふきつつ)(振り払いながら)
逃げ来るが、なお追って来て、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂の下まできたとき、
その坂本にあった桃子(もものみ)三個(みつ)を取って待ち受けて投げつけると、悉く(ことごとく)迯げ(にげ)かえった
 そこで、伊邪那岐命は、その桃子に「あなたが私を助けたおゆに、葦原中国(あしはらのなかつくに)にいる
宇都志伎(うつしき)青人草(あをひとくさ)(現世の人々)の、苦しき瀬に落ちて患ひ(うれい)愡む(なやむ)ときにも
助けてあげなさい」と告げて、「意富加牟豆美命(おほかむづみ)」と号する名前を与えた


 最後に、その妻の伊邪那美命が、身自(みずか)ら追いかけて来た
 そこで、千引石(ちびきのいわ)を、その黄泉比良坂に引き塞さいで、その石を間に置いて、
それぞれ対って(向かい合って)立って、事戸(ことど)(離縁)を渡したとき、
伊邪那美命が、「愛しい我が那勢命(女性)、このようなことをするならば、
あなたの国の人々を、一日に千人、絞め殺しましょう」と言った
 そして、伊邪那岐命は、「愛しい我が那邇妹(女性)の命(みこと)よ、あなたがそのようにするならば、
私は、一日に千五百の産屋(うぶや)を立てます」と言った
 これによって、一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百人が生まれるようになった


 それで、その伊邪那美命を号して「黄泉津大神(よもつ)」と言う
 または、その追斯伎斯(おひしきし)(追いついてきたこと)で、「道敷大神(みちしき)」と号する
 また、その黄泉坂を塞さいでいる石を、「道反之大神(ちがへし)」と号し、また、塞坐黄泉戸大神(さやりますよみど)と言う
 そして、そのいわゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今は、出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)と言う

【禊祓と神々の生成】

 このようなことで、伊邪那伎大神(イザナキ)は、「私は伊那志許米志許米岐(いなしこめしこめき)穢き国
(なんと恐ろしい、恐ろしく穢れた国)に行ってしまったものだ」と言った
 「それゆえ、私は身の禊(みそぎ)をすべきだ」と言って、竺紫日向(つくしのひむか)の橘小門(たちばなのをど)の
阿波岐原(あはきはら)を訪れて禊祓(みそぎはらひ)をした


 そこで、投げ棄てた御杖から成りいでた神の名は、衝立船戸神(ツキタツフナト)
 次に、投げ棄てた御帯から成りいでた神の名は、道之長乳歯神(ミチノナガチハ)
 次に、投げ棄てた御嚢(御袋)から成りいでた神の名は、時量師神(トキハカシ)
 次に、投げ棄てた御衣から成りいでた神の名は、和豆良比能宇斯能神(ワヅラヒノウシノ)
 次に、投げ棄てた御袴から成りいでた神の名は、道俣神(チマタ)
 次に、投げ棄てた御冠から成りいでた神の名は、飽咋之宇斯能神(アキグヒノウシノ)
 次に、投げ棄てた左手の手纏(たまき)(腕輪)から生まれた神の名は、奥疎神(オキザカル)
 次に、奥津那芸左毘古神(オキツナギサビコ)
 次に、奥津甲斐辨羅神(オキツカヒベラ)
 次に、投げ捨てた右手の手纏(たまき)(腕輪)から生まれた神の名は、辺疎神(ヘザカル)
 次に、辺津那芸左毘古神(ヘツナギサビコ)
 次に、辺津甲斐辨羅神(ヘツカヒベラ)
 以上の船戸神から辺津甲斐辨羅神までの十二神は、身に著ける(着けていた)物を脱ぐことによって生まれた神である


 そして、「上の瀬は流れが速い、下の瀬は流れが弱い」と言って、初めて中つ瀬に堕迦豆伎(おりかづき)(沈み潜って)
滌(濯)(すす)いだときに成りいでた神の名は、八十禍津日神(ヤソマガツヒ)
 次に、大禍津日神(オホマガツヒ)
 この二神は、あの穢繁国(けがれはしきくに)に行ったときの、汚垢(けがれ)によって成りいでた神である
 次に、その禍(まが)を直そうとして成りいでた神の名は、神直毘神(カムナホビ)
 次に、大直毘神(オホナホビ)
 次に、伊豆能売神(イヅノメ)、併せて三神である
 次に、水底で滌(濯)いだときに成りいでた神の名は、底津綿津見神(ソコツワタツミ)
 次に、底筒之男命(ソコツツノヲ)
 そして、中程で滌(濯)いだときに成りいでた神の名は、中津綿津見神(ナカツワタツミ)
 次に、中筒之男命(ナカツツノヲ)
 そして、水上で滌(濯)いだときに成りいでた神の名は、上津綿津見神(ウハツワタツミ)
 次に、上筒之男命(ウハツツノヲ)
 この三柱の綿津見神(ワタツミ)は、阿曇連(あづみのむらじ)らの祖神(おやがみ)として伊都久(いつく)(祭祀している)神である
 それなので、阿曇連らは、その綿津見神の子の宇都志日金拆命(ウツシヒカナサク)の子孫である
 その底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命命の三柱の神は、墨江之三前大神(スミノエノミマヘ)である

【三貴子の誕生】

 そして、左の御目を洗ったときに成りいでた神の名は、天照大御神
 次に、右の御目を洗ったときに成りいでた神の名は、月読命
 次に、御鼻を洗ったときに成りいでた神の名は、建速須佐之男命
 以上の八十禍津日神より速須佐之男命までの十四柱の神は、御身を濯ぐことによって生まれた神である


 この時、伊邪那伎命は大いに喜んで、「私は子を生み続けて、生んだ最後に三柱の貴い子を得た」と言って、
御頸珠(みくびたま)(首飾り)の玉の緒を母由良邇(もゆらに)(ゆらゆらと)取り、由羅迦志(ゆらかし)(揺らして)
天照大御神に与え、「あなたは、高天原(たかあまはら)を知らせ(治め)なさい」と言って事依(ことよ)(委任)した
 そこで、その御頸珠(首飾り)の名を、御倉板挙之神(ミクラタナノ)と言う
 次に、月読命に、「あなたは、夜之食国(よるのをすくに)を知らせ(治め)なさい」と言って事依(ことよ)(委任)した
 次に、建速須佐之男命に、「あなたは、海原を知らせ(治め)なさい」と言って事依(ことよ)(委任)した

【建速須佐之男命の哭泣】

 そこで、それぞれ依さし賜ひし命(よさしたまひしみこと)(委任された命令)の随(まにまに)(通りに)
知らし看(しらしめす)(治めていた)中で、速須佐之男命だけは命じられた国を治めず、
八拳須(やつかひげ)が胸の前に届くようになるまで、啼き(泣き)伊佐知伎(いさちき)(わめいていた)
 その泣く状(さま)(様子)は、青山が枯山(かれやま)のようになるほど泣き枯れ、
河や海が悉(ことごとく)泣き乾くほどであった
 そのため、悪しき神の声が、狭蝿(さばへ)(夏のハエ)のように満ち、万物(よろず)の妖(わざはひ)(災)が
悉(ことごとく)起こった
 そこで、伊邪那岐大御神が、速須佐之男命に、「何由(なにし)、あなたは事依させし(委任した)国を治めず
哭き伊佐知流(いさちる)(泣きわめいている)のか」と言うと
 「私は、妣(はは)(母)の国である根之堅州國(ねのかたすくに)に罷(まからむ)(参りたい)と欲(おもって)(思って)
だから哭(泣)いているのです」と答え白しめた(申し上げた)
 そこで、伊邪那岐大御神は大いに忿怒して、「ならばおまえはこの国に住んではならない」と言って、
神夜良比爾夜良比(かむやらひにやらひ)(追放して追い払った)
 そして、その伊邪那岐大神は、淡海之多賀(あふみのたが)に鎮座した

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