古事記(こじき)葦原中国の平定
(あしはらのなかつくにのへいてい) 京都通メンバ
古事記の神話

掲載:上巻(こじきかみつまき)

著者:正五位上 勲五等 朝臣 太安万侶(おおのあそみやすまろ)(太安萬侶)(おほのやすまろ)

前の神話:大国主神
次の神話:大国主神の国譲り

 「葦原中国の平定(あしはらのなかつくにのへいてい)」のことは、「古事記」の上巻に記されている

 天照大御神が、葦原中国(あしはらのなかつく)を、御子を天降りさせて治めさせようとするが、
騒がしくて降りれず、葦原中国の国津神らを説得するために遣いを出すが、
最初の2柱は、行ったきりで報告もしてこなかった
 そこで、3柱目に建御雷神が遣わされて、大国主命の息子の事代主神建御名方神を説得する

 この平定の後に、大国主命から天照大御神に、葦原中国の国譲りが行われる

【古事記の葦原中国の平定の原文】

【天忍穂耳命】

 天照大御神の命(みこと)を以(もって)、
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみづほのくに)は、我が御子、
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)が知らす(治めるべき)国である」と
言因(ことよ)(委任)して賜いて、天降(あまくだ)らせる
 それで、天忍穂耳命(アメノオシホミミ)は、天浮橋(あめのうきはし)に多多志(たたし)(立ったが)、
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国は、伊多久佐夜芸弖有那理(いたくさやぎてありなり)
(ひどく騒がしいようだ)」と告げて
更に(再び)還り(帰り)上って、天照大御神に請した(申し上げた)

【天菩比神】

 そこで、高御産巣日神と、天照大御神の命(みこと)を以(もって)、天安河(あめのやすのかは)の河原に、
八百万神(やほよろづのかみ)を神集(かむつどへ)に集わせ、
思金神(オモヒカネ)に思はしめす(思案させる)
 「この葦原中国(あしはらのなかつくに)は、我が御子の知らす(治めるべき)国と
言依(ことよ)(委任)し賜へりし国である
 それゆえに、この国に道速振(ちはやぶる)(強暴な)荒振(あらぶる)(荒々しい)国神(くにつかみ)らが
多在(さはなり)(多くいると)以為(おも)われる
 そこで、何れの神を使はして、言趣(ことむけ)(説得)將(させようか)」と詔(のりたまう)(問いかける)
 すると、思金神や八百万神は、議(はかり)(相談し)、「天菩比神を、これ遣はすべきでしょう」と
白しめた(申し上げた)
 それで、天菩比神を遣わしたが、乃ち(しかし)大国主命に媚び附いて、三年に至っても、
復奏(かへりごとまを)(帰って報告)がなかった

【天若日子】

 それによって、高御産巣日神天照大御神が、また諸(もろもろ)の神等に問い、
「葦原中国に遣わした天菩比神は、久しく復奏(かへりごと)(帰って報告)をしない
 また、何れの神を使わせれば吉(良)いか」と問う
 すると、思金神が、「天津国玉神(アマツクニタマ)の子、天若日子を遣わすべきでしょう」と
答えて白しめた(申し上げた)
 それゆえに、天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)を、
天若日子に賜いて(授けて)遣わした
 それで、天若日子は、その国に降り到りて(着いて)、
すぐに、大国主命の女(娘)の下照比売(シタテルヒメ)を娶って、
また、その国を獲(得)ようと慮(おもひはかり)(たくらんで)、
八年に至っても復奏(かへりごとまを)(復命)がなかった

【雉の鳴女】

 それゆえに、天照大御神と、高御産巣日神は、また諸(もろもろ)の神等に
天若日子も久しく復奏をしない また、曷(いづ)れの神を遣はして、
天若日子が淹(ひさしく)(長く)留まっている所由(理由)を問はせようか」と問う
 そこで、諸神や思金神は、「雉の、名は鳴女(ナキメ)を遣わすべきでしょう」と答へて白しめたとき
「汝(なれ)(おまえ)が行って天若日子に問う状(さま)(問いただすの)は、
『汝(いまし)(あなた)を葦原中国に使わした所以(理由)は、
その国の荒振る神等を、言趣(ことむけ)(説得して)和(やはせ)(従わせる)ためである
何に八年に至るまで復奏しないのか』と問いなさい」と詔(のりたまう)(命じる)

【雉の頓使】

 それゆえに、鳴女(ナキメ)は、天から降り到りて、
天若日子の門(かど)(家の門)の湯津楓(ゆつかつら)(多くの枝葉の繁っている楓)の上に居て(留まって)、
委曲(まつぶさ)(全て残らず)に天神(あまつかみ)から詔りたまった命(みこと)の如(ごとく)言った
 すると、天佐具売(アマノサグメ)が、この鳥の言ふことを聞いて、天若日子に語りて
「この鳥は、その鳴く音(声)が甚悪(いとあし)(とても不吉だ)なので、射殺すべきだ」と言って、
すぐに天若日子は、天神(あまつかみ)から賜わった天之波士弓と天之加久矢を持って、
その雉を射殺した

 すると、その矢は、雉の胸を通って(貫いて)、逆さまに射上げられて、天安河の河原に坐す天照大御神と、
高木神の御所(みもと)に逮(いたり)(届いた)
 この高木神は、高御産巣日神の別名である
 そこで、高木神が、その矢を取って見てみると、その矢の羽に血が著(ついて)(付いて)いた
 それで、高木神は、「この矢は、天若日子に賜へた矢である」と告げて、すぐに諸神らに示して、
「或(もし)天若日子が、命(みこと)を誤った(背いた)のではなく、
悪い神を射った矢が至りし(届いた)為らば、天若日子に中(あた)るな
 或(もし)邪(きたなき)心が有るなら、天若日子、この矢によって麻賀礼(まがれ)(禍があれ)」と言って、
その矢を取って、その矢の穴から下に衝き(突き)返すと、
朝床(あさとこ)で寝ていた天若日子の高胸坂(たかむなさか)(胸)に中り(当たり)死んでしまった
 (これが還矢(かへしや)の本(由来)である)
 また、その雉(きぎし)は還らなかった(帰らなかった)
 ゆえに、今の諺の「雉の頓使(きぎしのひたつかひ)」と言う由来である

 それゆえ、天若日子の妻の、下照比売(シタテルヒメ)の哭く(泣く)聲(声)が、
風に与(むた)(のって)響いて天に到る(届いた)
 それで、天在(あめなる)(天にいる)天若日子の父の、天津国玉神(アマツクニタマ)と、
その妻子(めこ)がこれを聞いて、降り来て哭き(泣いて)悲しみ、
乃ち(のちに)其処(その地)に喪屋(もや)を作って、
河鴈(かわがり)を岐佐理持(きさりもち)と為し(なって)(葬送のときに死者にお供えする食物を持つ者にして)、
鷺(さぎ)を掃持(ははきもち)と為し(葬送のときに箒を持って場を清める者にして)、
翠鳥(そにどり)を御食人(みけびと)と為し(死者にお供えする食物を作る者にして)、
雀を碓女(うすめ)と為し、(死者にお供えするため臼で米をつく女性として)
雉を哭女(なきめ)と為し(葬送のときに号泣する役の女性として)、この如く(このように)行いを定めて、
日八日夜八夜(ひやかよやを)を遊びき(八日八夜死者を呼び戻す招魂の歌舞をした)

【阿遅志貴高日子根神】

 このとき、阿遅志貴高日子根神(アヂシキタカヒコネ)が到て(訪れて)、天若日子の喪を弔うとしたときに、
天より降り到った天若日子の父と、またその妻、皆んなが哭いて(泣いて)
「我が子は死なずに有り祁理(けり)(生きていた)、我が君は死なずてに坐し祁理(生きておられた)」と言って、
手足に取り懸(かかり)(寄りすがって)哭き(泣き)悲しんだ
 その過(あやまち)(間違えた)所以は(理由は)、この二柱の神の容姿が、
甚能(いとよ)く相似て(とてもよく似て)、それで以ちて過ち(そのために間違えた)
 これに、阿遅志貴高日子根神は、大いに怒って、「我は愛(うるはしき)友であったから弔いに来た
 何かに(どうして)吾(あ)(私)を穢れた死人と比べるのか」と言って、御佩(はかせる)(持っていた)
十掬劍(とつかのつるぎ)を抜いて、その喪屋を切り伏せ、足を以ちて蹶り(蹴り)離ち遣りき(飛ばしてしまった)
 これが、美濃国(みののくに)の藍見河(あゐみがは)の河上の喪山(美濃国武儀郡郡上川の大矢田村天王山)である
 その切る(斬る)のに持っていた大刀の名は、大量(おほはかり)と言い、またの名は神度劍(かむどのつるぎ)と言う

 それで、阿遅志貴高日子根神が、忿りて(怒って)飛び去ったとき、
その伊呂妹(いろも)(同母妹)の高比売命(タカヒメ)は、その御名を顕(あらはさむ)(明かそう)と思って、
それゆえ、歌を曰(ひけらく)(詠んだ)

    阿米那流夜(あめなるや)淤登多那婆多能(おとたなばたの)宇那賀世流(うながせる)
    多麻能美須麻流(たまのみすまる)美須麻流邇(みすまるに)阿那陀麻波夜(あなだまはや)
    美多邇(みたに)布多和多良須(ふたわたらす)
    阿治志貴多迦比古泥能迦微曾也(あぢしきたかひこねのかみそ)

   天なるや 弟棚機の 項がせる 玉の御統 御統に 穴珠はや 御谷 二渡らす 阿遅志貴高日子根神ぞ

 この歌を、夷振(ひなぶり)という

 (歌の大意)
   天上にいる、うら若い機織りの女性が首にかけている首飾りの玉、
   その首飾りの穴のあいた玉が照り輝くように、深い谷を二つ渡っても知られているほどの
   阿遅志貴高日子根神であるぞ

【建御雷神】

 そして、天照大御神は、「また曷(いづれ)の神を遣わせれば吉(よい)(良い)か」と詔りたまう(尋ねる)
 すると、思金神(オモヒカネ)及(また)諸神は、
「天安河(あめのやすのかは)の河上の天岩屋(あめのいはや)に坐す、
名は伊都之尾羽張神(イツノヲハバリ)、これを遣はすべし
 若し(もし)また、この神で非ずば(なければ)、その神の子、建御雷之男神、これに應(こたえ)遣はすべし
 且(また)その天尾羽張神(アメノヲハバリ)は、天安河の水を逆(さかしまに)して塞(せ)き上げて(止めて)、
道を塞いで居る故に、他神(あだしかみ)は得行かじ(訪れることができません)
 それで、別(ことに)(特別に)天迦久神(アメノカク)を遣はして問ふべし」と白しめた(申し上げた)
 それゆえに、天迦久神を使はして、天尾羽張神に問いたときに、
「恐(かしこし)(かしこまりました)、仕(つかへ)奉(まつらむ)
然れども、この道(任務)には、僕(あ)の子、建御雷神を遣はすべし」と答へ白しけらく(申し上げて)、
乃ち(のち)貢進(たてまつった)
 そこで、天鳥船神(アメノトリフネ)を、建御雷神に副(そ)へて(従わせて)遣はせた

 これで以って、この二神(建御雷神・天鳥船神)は、
出雲国(いづものくに)の伊那佐之小浜(いなさのをばま)に降り到った
 十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて、逆(さかしま)にして浪穂に(波先に)刺し立てて、
その剣前(剣先)に跌(あぐみ)(あぐらをかいて)坐して、
大国主命に、「天照大御神と、高木神の命(みこと)以って問ひに使はされた
 汝(いまし)(あなた)が宇志波祁流(うしはける)(治めている)葦原中国(あしはらのなかつくに)は、
我が御子の知らす(治める)国であると言依(ことよ)(委任)されて賜われている
 それで、汝(あなたの)心は奈何(いかに)」と言って問う

【事代主神の帰服】

 (大国主命)は、
「それに僕(あ)は、白(しらし)得ることが不す(申し上げられません)、
我が子の八重言代主神が、これに白す可(べし)(申し上げることができます)
 然るに(しかしながら)、鳥を遊(あそび)(狩りに)魚を取る為に、
御大之前(みほのさき)(出雲国島根郡美保の崎)に往き(行って)、未だ還って来ていません」と
答えて白しけらく(申し上げた)
 そこで、天鳥船神を遣はして、八重言代主神を徴(めし)(呼んで)来て、問ひ賜ひしとき、
その父の大神に語って、「恐(かしこし)(かしこまりました)、
この国は、天神の御子に立奉(たてまつります)」と言って
 すぐ、その船を蹈(踏)んで傾けて、天逆手(あめのさかて)を青柴垣(あをふしがき)に打ち成して隠れた

建御名方神の服従】

 それで、その大国主命に、「今、汝(あなた)の子の、事代主神は、この如く白しめた(申した)
 また、白すべき(申してくる)子は有りや(いるか)」と問う
 するとここに、また、「また、我が子の建御名方神が有り(います)、これを除きては(以外には)
無し(いません)」と白しめた(申し上げた)
 この如く白しめしている(申している)間に、
その建御名方神が、千引石(ちびきのいは)(千人で引いてやっと動くような岩)を
手末(たなすえに)(手先に軽々と)擎(ささげて)(持って)来て、
「誰が我が国に来て、忍び忍びに(こそこそと)その如く物言(ものいい)をしているのか」という

 (建御名方神は、)
 然らば、力競べを為む(しよう)、では、我が先にその御手を取らむ(つかんでやろう)」と言った
 そこで、その御手を取らせると(掴ませると)、すぐに立氷(たちひ)(氷柱)に取り成し(変化して)、
また剣刃(つるぎば)に取り成しつ(変化させた)
 それで、懼(おそり)(恐れて)退き居し(引きさがった)
 そこで、その建御名方神の手を取ろうと欲して(すると)、乞ひ帰して(求め返して)取り(つかみ)、
若葦(わかあし)を取るが如く、握り批(ひし)(潰)して投げ離つと、すぐに逃げ去ってしまった
 そこで、追いかけて往って、
科野国(しなののくに)(信濃国)の州羽海(すはのうみ)(諏訪湖)に迫い到りて(込んで)、
殺そうと將(しようとした)とき、
建御名方神は、「恐(かしこし)(かしこまりました)、我(あ)を殺す莫(なかれ)
この地(信濃国)を除いては、他処(他の地)には行きません、
また、我が父の、大国主命の命に違(たがはじ)(背きません)八重事代主神の言(言葉)にも違はじ(背きません)
 この葦原中国は天神の御子の命の隨(まにまに)(命令に従って)献(たてまつる)(差し上げます)」と
白しめた(申し上げた)

(この後、大国主神の国譲りに続く)

【次の神話:大国主神の国譲り

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