神武天皇(じんむてんのう)

初代天皇

生年:BC711年(庚午年)1月1日(庚辰の日)
崩御:BC585年(皇紀76年)神武天皇76年3月11日
宝算:127

父親:天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)
四男
母親:海神の娘 玉依毘売命
天孫邇邇芸命の曽孫

和風諡号:神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)
諱:彦火火出見(ひこほほでみ)
古事記:若御毛沼命(ワカミケヌ)、豊御毛沼命(トヨミケヌ)、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコ)

即位:BC660年(皇紀元年)神武天皇元年1月1日
譲位:BC584年(皇紀76年)神武天皇76年3月11日

次代:綏靖天皇

妃:吾平津媛(あいらつひめ)
妃との皇子:手研耳命(たぎしみみのみこと)
      岐須美美命(きすみみのみこと)

皇后:媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)(事代主神の娘)
皇后との皇子:彦八井耳命(ひこやいみみのみこと)(手研耳命)
       神八井耳命(かむやいみみのみこと)
       神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)(神沼河耳命)(第2代 綏靖天皇)

皇居:畝傍橿原宮
陵墓:畝傍山東北陵

 神武天皇(じんむてんのう)は、日本の初代天皇

 日本を建国したとされる神話・伝説上の天皇といわれるが、実在を示す事象も示されてきている

 ギネスブックには神武天皇の伝承を元に「最古の王家」の項目に「日本の天皇家」が記載されている

【神武天皇の経緯】

【神武天皇陵】

 <畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)>
 奈良県橿原市大久保町
 神武天皇陵とされている

 俗称「四条ミサンザイ」

 日本書紀などによると「畝傍山の北方、白檮尾(かしのお)の上にある」と記されている

 畝傍山から、ほぼ東北に300m離れており、東西500m、南北約400mの広大な敷地がある

 672年(皇紀1332)天武天皇元年
 壬申の乱のときに、大海人皇子に神がかりにより高千社の事代主神と身狭社の生霊神が現れ、
「神日本磐余彦天皇の陵に、馬および種々の兵器を奉れ」と神託を受けて祀られたといわれる

 延喜式の第21巻「諸陵式」によると、神武天皇陵は、東西1町、南2町の広さであったとされる

 平安時代中期
 977年(皇紀1637)貞元2年
 国源寺が建てられたが、その後、神武陵の所在も分からなくなってしまう

 1863年(皇紀2523)文久3年
 神武陵がミサンザイに決まり、幕府により15000両で修復される

【神武天皇の宮】

 <橿原宮(かしはらのみや)>
 奈良県橿原市畝傍町、現在の橿原神宮

 「延喜式」では「畝傍橿原宮(うねびのかしはらのみや)」
 「古事記」では「畝火の白檮原宮(うねびのかしはらのみや)」
 「万葉集」では「可之波良能宇禰備乃宮(かしはらのうねびのみや)」と記されている

 1889年(皇紀2549)明治22年
 明治天皇の勅許により、奈良県が「高畠」と称される橿原宮跡の推定地を買収し、
 京都御所の内侍所・神嘉殿を賜って、それぞれ本殿・拝殿(現在の神楽殿)として橿原神社が創建された

 1938年(皇紀2598)昭和13年
 紀元2600年記念事業に伴い、神宮外苑の発掘調査が行われ、
 地下から、縄文時代後期から末期の大集落跡と、立ち木のまま根を広げて埋まっていた橿の巨木が発見される
 これらがミシガン大学で炭素14による年代測定され、2600年前の誤差±200年のものとされ、
 神武天皇の伝承の証を示すものとされる

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