円融天皇(えんゆうてんのう)

平安時代中期の第64代天皇

生年:959年(皇紀1619)天徳3年3月2日
崩御:991年(皇紀1651)正暦2年2月12日
宝算:33

第62代 村上天皇の第5皇子
母親:中宮 藤原安子(ふじわらあんし)(右大臣 藤原師輔の娘)

諱:守平(もりひら)

即位:969年(皇紀1629)安和2年8月13日
退位:984年(皇紀1644)永観2年8月27日

先代:冷泉天皇
次代:花山天皇

中宮:藤原こう子(関白 藤原兼通の長女)、藤原遵子(関白 藤原頼忠の長女)
皇后:
皇子女:懐仁親王(一条天皇

追号:朱雀院上皇、円融院
法諱:金剛法

陵墓:後村上陵(のちのむらかみのみささぎ)

 円融天皇(えんゆうてんのう)は、平安時代中期の第64代天皇

 同母兄 第63代 冷泉天皇の皇太弟となり在位2年で譲位されて、11歳で即位する

 26歳のとき、息子 懐仁親王の立太子を条件にして、兄 冷泉上皇の皇子 花山天皇に譲位し、太上天皇となる

 藤原氏同士の政権争いが絶えず、
 藤原実頼(さねより)、藤原伊尹(これただ)、藤原兼通(かねみち)、藤原頼忠(よりただ)らが摂政を行った

【円融天皇の歴史・経緯】

【円融天皇】

 和歌を愛好し、「拾遺和歌集」以下の勅撰集に24首入集されている

 「春日野に多くの年はつみつれど老いせぬ物は若菜なりけり」(拾遺和歌集)

 <歌集「円融院御集」>

【円融天皇ゆかりの地】

 <八坂神社御旅所
 東洞院高辻の秦助正(はたすけまさ)の夢に神人が現れて、「汝の家を影向の地とせん速やかに朝廷に奏上せよ」との宣託があり、
翌朝、庭の塚から蜘蛛の糸が祇園社まで続いていたといわれる
 円融天皇も、同じ夢託を受け、秦助正の家を御旅所とし、東洞院方四町を敷地として与え、神殿を造らせ「大政所」と称したといわれる

 <堀河天皇里内裏跡
 藤原兼道の娘 詮子が円融天皇の中宮であったため、円融上皇の御所(里内裏)となる

 <大雲寺
 円融天皇の御願寺・勅願寺となる
 円融天皇が行幸されたときに、山の頂上に紫雲棚が引いたことから霊地とされ「大雲寺」と改称された

 <遍照寺
 宇多天皇の孫 寛朝僧正(かんちょうそうじょう)が、円融上皇の御願により、広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたのが由来

 <龍安寺
 鏡容池(きょうようち)は、円融天皇の御願寺である円融寺の跡地にあたり、その園池といわれる

 <善想寺
 境内は、関白太政大臣 藤原頼忠の邸宅があった場所にあたり、
 内裏の火災のときに、円融天皇が一時里内裏にされ、譲位後に居所とされ「四条後院」と称された


 <御陵(みささぎ)>
 後村上陵(のちのむらかみのみささぎ)(右京区宇多野福王子町)
 宮内庁上の形式:円丘

 遺体は、円融寺の北原で火葬にされ、父親 村上天皇の御陵の傍らに遺骨が納められた

 <円融院火葬塚>
 龍安寺の裏の朱山にある


【京都検定 第4回3級】

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