大雲寺(だいうんじ)は、岩倉にある天台證門宗(天台宗寺門宗系)の単立の寺院
本尊は十一面観音菩薩で、「岩倉観音」「観音院」などとも称される
石座神社の東側にある
<万里小路中納言藤房卿髪塔>
入口左手の道路沿いにある宝篋印塔
鎌倉時代、室町時代の公家 万里小路藤房(までのこうじふじふさ)の髪塔
花崗岩製、約2m、基礎に単弁反花、下に格狭間、四方形の塔身
父親は万里小路宣房で、後醍醐天皇の側近として仕え、建武の新政の中納言になる
その後、政治に失望し、1334年(皇紀1994)建武元年に岩倉 不二房を戒師として出家し岩倉に隠棲したといわれる
<三面石仏>
参道入口左の道路沿いの覆屋内に祀られている
阿弥陀如来坐像、脇侍として右に十一面観音菩薩立像、左に地蔵立像が彫られている
鎌倉時代の作
花崗岩製、約1.9m、半肉彫
<目無地蔵>
目無橋のたもとにある
定印の阿弥陀如来坐像、右に如来像、左に地蔵菩薩
旧大雲寺の遺仏といわれる
鎌倉時代の作
花崗岩製、約1m
大雲寺の西、北山病院の敷地内にある
<不動の滝(妙見の滝)>
左に不動明王、右に妙見菩薩が祀られている
かつては背後の山の山腹に、朝日妙見が祀られており、洛陽十二妙見霊場の一つだったといわれる
江戸時代
大雲寺で加持祈祷を行った人々の「垢離場(こりば)」だった
滝に打たれると心の病に効くとされ、籠屋(こもりや)(茶屋、保養所)が建てられた
後に、京都府立癲狂院(とんきょういん)、岩倉精神病院などになり、現在の北山病院となっている
<閼伽井堂>
不動の滝のすぐ西にある
双龍大権現が祀られている
井戸「閼伽井(あかい)」は、「観音水」、「智弁水」、「御香水」「不増不減の水」とも称される
井戸は、園城寺(三井寺)金堂の閼伽井に水源があるともいわれる
平安時代後期
跋難陀龍王が、大雲寺 文慶(もんけい)の夢枕に現れ、そのお告げにより水が湧出したともいわれる
「智弁水」とは、智弁僧正が密教の秘法を修めたことに由来するといわれる
「不増不減の水」とは、干ばつや降雨のときにも水量に変化がないことから称される
平安時代より
井水は万病に効くといわれ、特に心の病、目の病に効力があるとされ信仰されてきた
「源氏物語」の中の若紫も、この水をくんだ
冷泉天皇の中宮 昌子内親王、後三条天皇の第三皇女 佳子(けいし)の治癒にも霊水が用いられた
<冷泉天皇皇后昌子内親王岩倉陵>
平安時代の冷泉天皇中宮 昌子内親王(しょうしないしんのう)の御陵
<梵鐘(国宝)>
もと延暦寺西塔から伝来したものといわれ、858年(皇紀1518)天安2年の銘がある
現在は、佐川美術館所蔵になっている
<十一面観世音菩薩>
本尊
奈良時代の僧 行基の作といわれている
聖武天皇の姿を写したもの
かつて、内裏に安置されていたもので、平安時代前期の公卿で真覚の祖父 藤原時平により伝えられたといわれる
<「源氏物語」>
平安時代中期の作家 紫式部が、姉 藤原為時一女を伴って、たびたび大雲寺を参拝していたといわれる
「源氏物語」第5帖「若紫」に登場する、小童の幻想が現れるという「わらわ病」になった光源氏が修験者による
加持祈祷を受けた「北山になむなにがし寺」といわれる
(鞍馬寺ともいわれる)
光源氏は大雲寺に宿泊し、大雲寺の僧都の娘と藤壺宮の兄 兵部卿との間に生まれた美しい少女 若紫(紫の上)と出会い、
その後、二人は生涯を共にすることになる
<「成尋阿闍梨母集」>
平安時代、第4世住職 成尋の母の日記的な歌集
宋へ渡る息子を思う母親の心情が歌われている
<「太平記」>
南北朝時代の書、大雲寺も登場する
<井原西鶴「好色一代女」>
1686年(皇紀2346)貞享3年の書、大雲寺も登場する
宇治の由緒ある家に生まれた美しい女が御所に宮仕えに出るが、身分の低い青侍と恋仲になるが男は殺され御所を追われる
舞妓、側室、島原の遊女、茶屋女、腰元、歌比丘尼などと転々とする
歳をとり、大雲寺に参拝したときに五百羅漢に出逢い、今まで出逢った多くの男たちの顔が思い出され、
その慙愧の念に耐えられず、嵯峨の広沢の池に入水しようとするが、人に助けられ嵯峨に庵を結ぶことになる
<「御龕御用大雲寺力者旧記書抜」>
実相院所蔵の1709年(皇紀2369)宝永6年の書
大雲寺の配下に、天皇や皇后の棺を担ぐ力者(りきしゃ)がいたと記されている