地図情報
麩屋町通(ふやちょうどおり)は、京都市市内の中心部の南北の通りの一つ
北は丸太町通、南は五条通までの通り
平安京の富小路にあたる
現在の富小路通は、平安京には存在せず、
豊臣秀吉による都市改造政策で万里小路と富小路の間に造営された
<麩屋町通の名前の由来>
「京羽二重」に「昔日此筋に腐麺を売者多かりしゆへに今にふや町通と云」と記されている
1685年(皇紀2345)貞享2年記載の
京都市の通りに住む職人や商人の生業をまとめた文献「此町すぢ諸職大概」には、麩屋商売は記されておらず、
この時には既に麩屋商売はなくなっていたといわれる
<別称「白山通」の名前の由来>
「坊目誌」に「御池の北に白山神社あるを以てなり」と記されている
押小路通を下ったところに白山神社が現存する
<祇園祭 注連縄切り>
四条麩屋町において
祇園祭山鉾巡行のとき、 長刀鉾が、四条通を横切るように斎竹に張られた注連縄を稚児が刀で切り落とす
これにより、神域への結界が解かれ、山鉾らが、災い払いをしながら進んでいく
<京都を代表する歴史的な三旅館>
多くの文人や賓客をもてなしてきた京の御三家と称される
柊家旅館(御池下ル西側)
俵屋旅館(御池下ル東側)
炭屋旅館(三条下ル東側)
<竹内式部寓居跡>
<大福寺>
<白山神社>
<京都税理士会館>
<柊家旅館>
<俵屋旅館>
<弁慶石>
<炭屋旅館>
<八文字屋自笑翁邸跡>
<革島外科医院>
<錦市場>
<清風日扇上人旧宅>
<京都市学校歴史博物館>
<明王院 不動寺>
<石門心学脩正舎跡>
<朝日神明宮>
<新麩屋町(左京区)>
江戸時代中期
「坊目誌」によると
北は下立売通まで伸びていたが、
宝永の大火がきっかけで、京都御所周辺の公家町が拡大され、丸太町通で遮られる
丸太町通以北にあった町家は鴨川東岸へ移転させられ、そのとき開かれた通りが新麩屋町として現存している