柳馬場通(やなぎのばんばどおり)は、京都市市内の中心部の南北の通りの一つ
北は丸太町通、南は五条通までの通り
丸太町通との交差点の南東角に京都地方裁判所があり、
丸太町通から夷川通には弁護士や司法書士の事務所が多い
<名前の由来>
桃山時代
二条大路との交差点付近に日本最初の公許の遊郭「二条柳町」が、豊臣秀吉により開かれ、
周りには綺麗な柳の並木が形成されたことが名前の由来ともいわれる
江戸時代初期
二条柳町の移転跡で、豊国祭臨時祭礼において大規模な馬揃えが行なわれ、
周辺に柳が植えられたことが名前の由来ともいわれる
<祇園祭 山鉾巡行>
南北朝時代から祇園会の山鉾巡行が行われるようになる
1454年(皇紀2114)享徳3年6月14日(現在の7月24日)
「師郷記」宝徳三年六月十四日条によれば、足利義政に室町殿に参るように命じられたため、
山鉾は、万里小路を北へ進み、鷹司小路を西に左折して、高倉小路を北へ進んだといわれる
足利義政は、高倉小路と武者小路との交差点の北東角にあった烏丸殿の四足門の北に桟敷を構えて見物したといわれる
<発掘調査>
京都地方裁判所の発掘調査が行われている
<京都御苑>
<京都地方裁判所>
<京都市立御所南小学校>
<京都ハリストス正教会>
<大江能楽堂>
<見真大師遷化旧跡>
<京都市立京都御池中学校>
<柳池小学校跡>
<バスケットボールの歴史が始まった地>
<錦小路通錦市場>
<新柳馬場通(左京区)>
江戸時代中期
柳馬場通は、北は椹木町通まで伸びていたが、
宝永の大火がきっかけで、京都御所周辺の公家町が拡大され、丸太町通で遮られる
丸太町通以北にあった町家は鴨川東岸へ移転させられ、そのとき開かれた通りが新柳馬場通として現存している
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