小松帯刀(こまつたてわき)(Takewaki Komatsu)

江戸時代後期の薩摩藩藩士 家老、明治時代初期の政治家

生年:1835年(皇紀2495)天保6年10月14日
没年:1870年(皇紀2530)明治3年7月20日
享年:36

父親:薩摩国喜入の領主肝付 兼善(かねよし) 三男
母親:島津久貫の娘

養父:薩摩藩士 小松清猷(こまつきよもと)

本名:肝付清廉(きもつききよかど)

通称:尚五郎(なおごろう)、のちに帯刀(たてわき)

別称:帯刀清廉
号:観瀾、香雪齋

維新の十傑の一人

出身地:薩摩藩(鹿児島県)
お墓:鹿児島県日置市日吉町吉利の禰寝 小松家歴代墓所

 小松帯刀(こまつたてわき)は、江戸時代後期の薩摩藩藩士 家老、明治時代初期の政治家

 島津久光の側役で、薩摩藩の藩政改革に尽力した

 亀山社中(のちの海援隊)の設立も支援した

 京都の住居は、近衛家別邸 御花畑屋敷跡で、その屋敷で長州藩と薩摩藩が薩長同盟が締結された薩長同盟所縁之地

【小松帯刀の歴史・経緯】


【小松帯刀ゆかりの地】

 <小松帯刀寓居跡
 室町通鞍馬口通にある屋敷跡
 近衛家別邸 御花畑屋敷跡を住まいとしていた
 本屋敷において、長州藩と薩摩藩が薩長同盟が締結された薩長同盟所縁之地
 室町通鞍馬口通の路肩に石碑が立てられている

 <薩長同盟所縁之地
 小松帯刀寓居跡
 本屋敷において、長州藩と薩摩藩が薩長同盟が締結された


 <小松帯刀寓居参考地>
 以前は、小松帯刀邸は、上京区一条堀川通東入ル南側松之下町付近とされおり、
「小松帯刀寓居参考地」の石碑も立てられていた

 2016年(皇紀2676)平成28年5月

 京都や鹿児島で、相次いで「御花畑絵図」などの史料が見つかり、現在の地であることが判明する
 「小松帯刀寓居参考地」の石碑は撤去される


 <有待庵(大久保利通旧邸跡)>
 小松帯刀が薩長同盟を結んだ密談のときに用いられたといわれる


【京都検定 第23回1級】

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