西郷隆盛(さいごうたかもり)(Takamori Saigo)

幕末維新の薩摩藩士、明治維新以降は、軍人、政治家

生年:1827年(皇紀2487)文政10年12月27日
没年:1877年(皇紀2537)明治10年9月24日
享年:51

父親:西郷吉兵衛隆盛(薩摩藩下級藩士)
長男

諱:隆永(たかなが)、後に、武雄、隆盛(たかもり)
幼名:小吉
通称:吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助
号:南洲(なんしゅう)
変名:西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門、大島吉之助など

位階:贈正三位

息子:西郷菊次郎

維新の三傑の一人

 西郷隆盛(さいごうたかもり)は、幕末維新の薩摩藩士、明治維新以降は、軍人、政治家

 薩摩藩の盟友 大久保利通、長州藩桂小五郎とで「維新の三傑」と称される

 明治維新の元勲、明治政府の筆頭参議、陸軍元帥

【西郷隆盛の経緯・歴史】

【西郷隆盛ゆかりの地】

 <即宗院
 即宗院裏の採薪亭跡は、清水寺成就院の勤王僧 月照と西郷隆盛とが、大老 井伊直弼を倒すために密議を行ったところで、
西郷隆盛が滞在し、幕末維新の舞台となった
 西郷隆盛と月照は、和歌のつながりで近衛家に出入りし、尊王攘夷に対し激しい弾圧を行う大老 井伊直弼を打ち倒すための
密議を採薪亭で行い、西郷隆盛は、採薪亭に隠れ住み、ここからさまざまな令を発して維新の大業をやり遂げたという
 薩摩藩士の有村次左衛門と水戸藩諸士17名が、江戸城外の桜田門外で井伊直弼の倒すことになる
 月照は、薩摩に渡った後で、鹿児島の錦江湾に身を投じた

 即宗院の裏山にある「薩摩藩士東征戦亡の碑」には、鳥羽・伏見の戦いや戊辰戦争で戦死した薩摩藩士524名の氏名が
刻まれている
 西郷隆盛が、半年滞在して斎戒沐浴(身を清めて)し、自ら工事を監督し、筆をとって銘文をつくり建立した

 <清閑寺
 境内にある茶室 郭公亭で、清水寺成就院の勤皇僧 月照と西郷隆盛が、国事に関する密議を交わしたといわれる

 <春光院
 西郷隆盛と勤王僧 月照とが尊王攘夷に関わる密議をしたといわれる
 月照は、春光院で、一時、隠棲していたといわれる

 <霊雲院
 西郷隆盛が、密議を交わしたといわれる

 <檀林寺
 霊宝館に、壇林皇后ゆかりの品や、多くの天皇の親筆、西郷隆盛の書などが陳列されている

 <清水寺
 西郷隆盛の詩碑が、北総門の北裏側に立つ

 <幕末維新ミュージアム 霊山歴史館
 西郷隆盛に関する史料を多く所蔵されている
 2018年(皇紀2678)平成30年1月から2019年(皇紀2679)平成31年1月
 通年特別展「大西郷展」が開催された

【その他】

 <「敬天愛人(けいてんあいじん)」>
 西郷隆盛が、好んでよく使い、揮毫した言葉
 「天を敬(うやま)い人を愛する」という言葉には、西郷の自己研鑽のための指針や学問の目的とし、
天命への自覚が含まれているといわれる

 <幻の西郷隆盛の銅像>
 2018年(皇紀2678)平成30年
 霊山歴史館で、新史料「西郷隆盛翁記念碑建設目論見ニ関スル書類(1888年(皇紀2548)明治21年)」が見つかる
 植田楽斎が発起人となり、清水寺の参道沿いに西郷像の建立を計画した書類
 建築家 河合浩蔵が設計した軍服、騎乗姿の銅像だった

 <NHK大河ドラマ>
 2018年(皇紀2678)平成30年1月7日から同年12月16日まで
 NHK大河ドラマ第57作「西郷どん(せごどん)」の主人公


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