高山彦九郎(たかやまひこくろう)(Takayama Hikokurou)

高山彦九郎(たかやま ひこくろう)は、江戸時代後期の尊皇思想家で明治維新の先駆者とされる

生年:1747年(皇紀2407)延享4年5月8日
没年:1793年(皇紀2453)寛政5年6月28日
享年:47(満46歳)

幼名:正之

家族:父親:高山彦八正教、母親:しげ、兄:高山正晴、妻:しも、後妻:さき

出身:上野国新田郡細谷村(群馬県太田市)の生まれ

林子平・蒲生君平と共に「寛政の三奇人」の一人

 高山彦九郎(たかやま ひこくろう)は、江戸時代後期に尊王論を唱え全国行脚した尊皇思想家

 三条京阪駅前に、土下座像をして皇居を望拝する姿の高山彦九郎の銅像がある

【高山彦九郎の歴史・経緯】




【高山彦九郎の銅像】

 所在地:京都市東山区三条大橋三条京阪駅前   名所地図情報名所

 三条大橋の東詰に皇居望拝姿の高山彦九郎の銅像がある
 三条大橋は「粟田口」と称され、山科、大津へと通じて東海道と中山道、東山道、北陸道の4道に通じる
京都の出入り口である「京の七口」の一つ

 高山彦九郎が、京都を出入りする際に皇居の方角を向いて望拝している姿
 「土下座像」とも称されている

 円山公園坂本龍馬亀山公園角倉了以と並んで「京都三大銅像」の一つとされる

 1928年(皇紀2588)昭和3年
 初代の銅像
 法華経と、伊勢神宮で入魂された柱が納められ、東郷平八郎が台座の揮毫をした

 1944年(皇紀2604)昭和19年11月
 金属回収令で供出される

 1961年(皇紀2621)昭和36年
 現在の銅像(2代目)が、少し西に再建される
 初代の台座跡には「高山彦九郎先生銅像趾跡記念碑」が建てられている

【京都での活動と日記

 1764年(皇紀2424)宝暦14年
 18歳のころ京都で学ぶ

 1774年(皇紀2434)安永3年〜1775年(皇紀2435)安永4年
 「甲午春旅」「乙未の春旅」を残す

 1782年(皇紀2442)天明2年〜1783年(皇紀2443)天明3年
 36〜37歳のころ
 「天明京都日記」「京日記」「天明下向日記」を残す

 1783年(皇紀2443)天明3年10月
 「再京日記」を残す

 1790年(皇紀2450)寛政2年〜1791年(皇紀2451)寛政3年
 44〜45歳のころ
 「寛政京都日記」を残す


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