高山彦九郎(たかやま ひこくろう)は、江戸時代後期に尊王論を唱え全国行脚した尊皇思想家
三条京阪駅前に、土下座像をして皇居を望拝する姿の高山彦九郎の銅像がある
「寛政の三奇人」の一人(林子平・蒲生君平)
所在地:京都市東山区三条大橋三条京阪駅前
地図情報
三条大橋の東詰に皇居望拝姿の高山彦九郎の銅像がある
三条大橋は「粟田口」と称され、山科、大津へと通じて東海道と中山道、東山道、北陸道の4道に通じる
京都の出入り口である「京の七口」の一つ
高山彦九郎が、京都を出入りする際に皇居の方角を向いて望拝している姿
「土下座像」とも称されている
円山公園の坂本龍馬、亀山公園の角倉了以と並んで「京都三大銅像」の一つとされる
歌碑も立っている
「われをわれと しろしめすぞや 皇の 玉の御こへの かかる嬉しさ」
1928年(皇紀2588)昭和3年
初代の銅像
法華経と、伊勢神宮で入魂された柱が納められ、東郷平八郎が台座の揮毫をした
1944年(皇紀2604)昭和19年11月
金属回収令で供出される
1961年(皇紀2621)昭和36年
現在の銅像(2代目)が、少し西に再建される
初代の台座跡には「高山彦九郎先生銅像趾跡記念碑」が建てられている
1764年(皇紀2424)宝暦14年
18歳のころ京都で学ぶ
1774年(皇紀2434)安永3年〜1775年(皇紀2435)安永4年
「甲午春旅」「乙未の春旅」を残す
1782年(皇紀2442)天明2年〜1783年(皇紀2443)天明3年
36〜37歳のころ
「天明京都日記」「京日記」「天明下向日記」を残す
1783年(皇紀2443)天明3年10月
「再京日記」を残す
1790年(皇紀2450)寛政2年〜1791年(皇紀2451)寛政3年
44〜45歳のころ
「寛政京都日記」を残す