粟田口(あわたぐち)は、東山区の青蓮院の北あたりで、三条大橋から山科・大津へ向かうところ
京都の出入口である「京の七口」の一つ
東海道と中山道、東山道、北陸道の4道に通じる軍事上の要衝
三条大橋は、東海道の京都からの起点で、江戸からの終点
中山道は、近江国草津宿(現在の滋賀県草津市)で東海道に合流している
粟田口は、三条大橋に置かれていたが、時代によっては、三条大橋よりも東の蹴上付近に置かれたこともある
(蹴上付近とは、現在の、ウェスティン都ホテルがあるあたりから青蓮院がある神宮道辺りの府道)
室町時代には、関銭徴収されていた
鎌倉時代以降は、刀匠(とうしょう)・刀工らが多く住んでいたといわれる
<石碑「粟田口」>
三条神宮道を下ったところ、神宮道に面して「粟田口」の石碑が建てられている
<粟田神社>
<合槌稲荷神社>
粟田口には、鎌倉時代まで多くの刀匠(とうしょう)が住んでいたといわれ、その名残が残る
<弥次喜多の像>
橋の西詰めに、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」の「弥次さん喜多さん」のおどけた像がある
<高山彦九郎の像>
橋の東詰めに、江戸時代中期に天皇を主君とする尊王論を唱えて全国を行脚した、
勤皇思想家 高山彦九郎の御所に向かって拝礼する像(土下座像)がある
待ち合わせスポットにもなっている
<粟田焼>
豊臣秀吉が好んだ茶の湯で使われる茶碗を焼いたのが粟田焼
「京焼」とも云われ、京都で楽焼と共に発展する
明治時代頃までは登り釜も残っていたといわれるが、大正年間になくなる
粟田神社参道に「粟田焼発祥之地碑」が見られる
<青蓮院>
天台宗三門跡寺院の一つ
<佛光寺本廟>
宗祖 親鸞聖人御廟所がある浄土真宗佛光寺派の墓所
<日向大神宮>
粟田口神明宮と称されていた