寛永行幸(かんえいぎょうこう) 京都通メンバ
寛永行幸(かんえいぎょうこう)

日時:1626年(皇紀2286)寛永3年9月6日から10日

天皇:後水尾天皇

招待者:徳川秀忠徳川家光

行幸先:二条城    名所地図情報名所

 寛永行幸(かんえいぎょうこう)は、後水尾天皇が、徳川秀忠徳川家光の招きに応じて二条城行幸される

 5日間にわたり、善美を尽くした座敷飾のなか、贅沢な料理・舞楽・能楽・和歌や管弦など、最上級のもてなしが行われた

 全国230の大名のうち、8割近くが参加したといわれる


【寛永行幸の歴史・経緯】

【寛永行幸】

 <寛永行幸>
 9月6日
 御所を出発した行幸行列は、東洞院通を北上し、中立売通堀川通を通って二条城へ向ったといわれる
 距離:約2.6km
 参列者:後水尾天皇・中宮 東福門院・実母 中和門院、二人の姫宮・公家、幕府方など約9,000人、
馬540頭、牛車12台、輿470基など
 先頭が二条城に到着しても、最後尾はまだ御所から出ていなかったといわれる

 通りの両側には、見物する大勢の人が埋め尽くし、お祭のような賑わいだったといわれる

 二条城到着後
 「晴れの御膳」「内々の御宴」が行われる
 御膳具はすべて黄金で、調度品も金銀で誂えられるなど「黄金の演出」が行われたといわれる

 当時の儀礼による本膳料理でもてなされる
 お酒を中心とした「献部」と、食事に中心とした「膳部」で構成されていたとされる

 9月7日
 「朝の御膳」が行われる

 将軍 徳川家光から、金品や香木、銀だけでも合計5万5千両などの進物が献上された

 公家衆、大名たちの出仕しにより舞楽が行われた


 9月7日
「朝の御膳」の後、
 大御所 徳川秀忠から、後水尾天皇には金2千両、中宮以下には合わせて銀2万5千両などが献上された

 乗馬叡覧や蹴鞠興行が行われる

 二条城天守へ登楼される
 「徳川実紀」によれば、
「この事俄なれば縁道にことごとく紅氈をしき、櫓狭間に御簾をたれ、しばらく四方を御遠望あり」と記されている

 夜には和歌の会が行われ、笙や篥などの舞楽が披露された


 9月8日

 「朝の御膳」の後、
 幕府のお祝い事の式楽とされた「猿楽(能)」が披露された


 9月9日
 「七五三の御膳」が行われる
 大御所 徳川秀忠・将軍 徳川家光から馬が進上される

 三献の儀
 後水尾天皇から、徳川秀忠徳川家光へ、手ずから酒杯を賜る天酌(てんじゃく)があったといわれる

 二条城天守へ再度、登楼される
 「徳川実紀」によれば、
 「先日は雨後雲霞ふかく、遠山の眺望分明ならざらしゆへなり」と記されている

 午後
 御所へ還幸される

【寛永行幸による二条城

 <二条城
 徳川家康による築城時は、現在の二の丸御殿の部分のみで、堀は一重だったとされる

 寛永行幸のために2年前から、二条城の大規模な増改築が行われた

 敷地を西に拡張し、大御所 徳川秀忠のために本丸が増築され、堀が増設される

 徳川家光の居所となる二の丸御殿には、狩野派の描いた約千点の障壁画が納められ、現在の姿に近い形となった

 二の丸御殿の南には、行幸御殿・中宮御殿なども新築された
 行幸後に移築されて現存はしていない

 庭園が、二の丸御殿・行幸御殿の両方から美しく見えるように改修される
 小堀遠州による作事

 徳川家康による天守は淀城に移築され、伏見城から5重の天守が移されたといわれる

【その他】

 <寛永行幸四百年祭>
 2026年(皇紀2686)令和8年
 京都府・行政・経済界・文化芸術団体等によるオール京都の組織「文化庁連携プラットフォーム」のプロジェクト
 12月6日
 寛永行幸の行事を再現するイベントが実施予定
 京都御苑から二条城東大手門(約3km)
 寛永行幸行列の主要シーンを数百人規模で再現される
 楽人による雅楽演奏を再現
 時代装束を着た参加者による特別観覧席が設置予定


 <二条城行幸図屏風(京都市指定文化財)>
 寛永行幸の様子が描かれている
 泉屋博古館の所蔵

 <寛永行幸絵巻 2巻>
 京都大学附属図書館の所蔵


【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第3回2級】

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【京都検定 第17回2級】

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