閑院址(かんいんあと)は、二条城の東にある平安時代から鎌倉時代初期にかけてあった藤原氏の邸宅跡
西福寺の門前に駒札が、南東角に石碑が立っている
里内裏となっており「閑院内裏址」とも称される
現在の北は二条通、南は押小路通、西は油小路通、東は西洞院通に囲まれた150m四方の地域
藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ)が平安京左京三条二坊十六町に創建した邸宅であった
藤原公季(ふじわらのきんすえ)が継いで、「閑院」と称されるようになる
庭内には泉が湧き、その閑雅な風情から「閑院」と名付けられたといわれる
平安京左京三条二坊十六町に
現在の古城町、下古城町など周辺の6町にわたり、
現在の北は二条通、南は押小路通、西は油小路通、東は西洞院通に囲まれた150m四方の地域
<里内裏>
大内裏が荒廃し、9代90年ほど里内裏となっていた
71代 後三条天皇・73代 堀河天皇・80代 高倉天皇・82代 後鳥羽天皇・83代 土御門天皇・
84代 順徳天皇・85代 仲恭天皇・87代 四条天皇・89代 後深草天皇
西福寺の南東角、押小路小川通の角に石碑が立っている
「閑院内裏址」と記され里内裏となっていたことを示す
<石碑「閑院内裏址」>
建立年:1915年(皇紀2575)大正4年11月
建立者:京都市教育会
碑文:
(北側)此附近 閑院内裏址
(南側)大正四年十一月建之 京都市教育会
(東側)寄附者 柏木亀蔵
<閑院跡>
西福寺の門前に閑院の跡地を示す駒札が立てられている
<順徳天皇の詩>
閑院の南殿にて月前松を詠める
いまはまた世々をかさぬる庭の花
ふりてぞみゆる秋の夜の露
<豊臣秀吉妙顕寺城跡>
桃山時代
閑院跡に妙顕寺が建てられ、その後、豊臣秀吉が妙顕寺城を建て、聚楽第の完成まで京都の政庁とした
<東三条殿跡>
押小路通を東に釜座通付近には、同じく里内裏にもなった、藤原氏の広大な邸宅があった