本隆寺(ほんりゅうじ)は、西陣に立つ、日蓮宗京都十六本山の寺院
西陣一帯を焼野原とした2度の大火にも鬼子母神の霊験によって焼失をまぬがれたことで、
「不焼寺(やけずのてら)」とも称される
9月には、百日紅の名所
広さは、約3300坪ある
2棟(本堂・祖師堂)が重要文化財に指定されている
<本堂(重要文化財)>
本堂と祖師堂が並立する日蓮宗寺院の代表的配置の一つ
京都の日蓮宗本山寺院の中では最古の本堂
桁行七間、梁間七間、入母屋造、正面及び背面向拝付、本瓦葺
1653年(皇紀2313)承応2年 焼失する
1657年(皇紀2317)明暦3年 再建される
2014年(皇紀2674)平成26年1月27日 重要文化財に指定される
<祖師堂(そしどう)(重要文化財)>
本堂の西側に立つ
京都の日蓮宗本山寺院の中では最古の祖師堂
桁行三間、梁間四間、寄棟造、正面及び背面向拝付、本瓦葺
1657年(皇紀2317)明暦3年以降 本堂に続いて建立される
2014年(皇紀2674)平成26年1月27日 重要文化財に指定される
<客殿>
<三光殿>
<鐘楼>
<経蔵>
<宝蔵>
<南門>
<千代野井(ちよのい)>
西陣五井の一の名井・名水とされる井戸
無外如大尼(むげにょだいに)が悟りを開いたという
<夜泣止松>
祖師堂の前に立つ松の木
1532年(皇紀2192)天文元年元旦
第五世 日諦上人が、ある婦人から赤ん坊の養育を頼まれ、
母を慕って泣く赤ん坊を日諦上人が抱いて、この松の木を廻ると夜泣きが止まった故事に由来する
1580年(皇紀2240)天正8年
その赤ん坊は、名僧 第七世 日脩となり、正親町天皇より「法院」の称号を賜った
夜泣止松の葉を枕の下に置くと、夜泣きが止むといわれる
<墓地>
黒川道祐、黒川寿閑(くろかわじゅかん)の墓
千家十職 黒田正玄歴代の墓
<唱題壹千萬遍之碑>
開創500年記念
<法華玄論十巻(京都府指定有形文化財)>
<大曼陀羅>
日蓮聖人の真筆といわれる
<十六羅漢絵像>
<名器三管>
<法華経七万字版木>