法住寺(ほうじゅうじ)(HoujyuuJi)

所在地:京都市東山区三十三間堂廻り町   地図情報

天台宗の寺院

本尊:身代不動明王

開基:太政大臣 藤原為光

門跡寺院

 法住寺(ほうじゅうじ)は、平安時代中期に、後白河上皇の院政御所「法住寺殿」が営まれたときの中心となった寺院

 8月は、芙蓉花の名所

【法住寺の歴史・経緯】




【法住寺の伽藍】

 <本堂>
 <阿弥陀堂>
 <不動堂>

 <宇堂>
 厳島辨財天・豊川枳尼天・毘沙門天・護法魔王尊・竹男大龍神・白峰辯才天が祀られている

 <旧法住寺御陵正門>
 法住寺竜宮門だったもの

【法住寺の寺宝】

 <身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)
 平安時代慈覚大師 円仁の作といわれる
 後白河上皇の信仰も篤く、木曾義仲の焼き討ちのときには、後白河上皇の身代わりとなったといわれる
 11月15日には不動会(ふどうえ)が行われる

 <阿弥陀如来像
 親鸞聖人が自作されたもの
 明治時代初期、東山渋谷にあった佛光寺から移されたもの

 <そば喰い木像>
 親鸞聖人の自作の自影像
 1201年(皇紀1861)建仁元年
 親鸞聖人が、延暦寺から、六角堂に毎夜通われていたとき、天台座主が衆僧と共に蕎麦を食べられるときに、
その蕎麦の授与を身代わりになり食べられて、そこに親鸞聖人がいるかのように留守を守ったといわれる像
 明治時代初期、東山渋谷にあった佛光寺から移されたもの

 <後白河上皇像>
 1991年(皇紀2651)平成3年
 後白河天皇法住寺陵にある後白河天皇の像の模作が作られ、安置される

 <四十七士木像>
 赤穂浪士 大石良雄が、身代不動明王を信仰し、討ち入りのさいに成就を祈願したとされる
 四十七士の木像が安置されている



法住寺殿

 法住寺殿は、後白河上皇の院政期に、法住寺を中心に営まれた後白河上皇の御所

 周囲の建物はとりこわされ十余町の広大な敷地をもち、
 南殿、西殿、北殿の三御所がつくられた

 南殿には、後白河上皇の住居と、広大な池、東小御堂、不動堂、千手堂が建ち並んでいた

 南殿の北側の三十三間堂や、新日吉神宮新熊野神社が、法住寺殿内に建立される

 後白河上皇の女御 建春門院(平滋子)の御陵として法華堂も建立される

 後白河上皇が崩御され、焼失した法住寺殿跡に、新たに法華堂が建立され御陵と定められ、
 建春門院の法華堂の南側に建立され、三十三間堂に向かって二堂が並立していたといわれる

 <後白河天皇法住寺陵
 法住寺と隣接してある
 宮内庁の管轄

【法住寺の祭事】

 <写経会>
 月例 第3日曜日

 <不動縁日>
 月例 28日

 <新年護摩祈祷会>
 1月元旦〜1月7日

 <無病息災大根炊き>
 1月成人の日
 不動明王に備えた大根を大鍋で炊いて接待される

 <節分会>
 2月3日
 鬼法楽、豆まきが行われる

 <後白河院御聖忌法要>
 5月2日
 後白河上皇の木像が開扉公開される

 <今様歌合せ>
 10月第2日曜日
 日本今様歌舞楽会による奉仕

 <身代不動尊大祭>
 11月15日
 採灯護摩供養
 不動堂で護摩焚きが行われると、その周りを天狗を先頭に、赤・青・黒の鬼が拍子を取りながら踊り歩く
 舞楽の奉納、稚児行列も行われる

 <義士大祭(義士会法要 )
 12月14日
 赤穂浪士 大石良雄が仇討ち祈願をした身代不動明王、四十七士木像に法要が行われる
 献茶式、舞妓さんのお点前によるお茶会、討入そばの接待なども行われる
 山科では、山科義士まつりが行われる

【法住寺へのアクセス】

 市バス 博物館三十三間堂前 徒歩約5分
 市バス 東山七条 徒歩約5分
 京阪電車 七条駅 徒歩約10分


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