地図情報
妙喜庵(みょうきあん)は、京都府南部の大山崎町にある寺院
千利休が建立した現存する唯一の茶室「待庵」(国宝)がある
<茶室 待庵(たいあん)(国宝)>
書院の南側に接してある二畳の茶室
第三世の功叔士紡(こうしゅくしぼう)が茶人であったことから、千利休がよくこの妙喜庵を訪れていた
羽柴秀吉(豊臣秀吉)が明智光秀を討つために構えた山崎の地の陣中に、千利休を招いて作らせた茶室
その後に、解体されて妙喜庵に移されたといわれる
待庵は、わが国最古の茶室建造物で、千利休の現存する遺構として唯一の茶室
国宝に指定されている3棟の茶室(犬山の如庵、大徳寺の密庵)のうちの一つ
後世に、各地でしばしば写しが作られている
二畳の隈炉、洞床の床の間、一畳板畳付の次の問、勝手の間がある
南面に土庇がある
一重、切妻造、こけら葺
1582年(皇紀2242)天正10年の建立
1903年(皇紀2563)明治36年4月15日 重要文化財に指定される
1951年(皇紀2611)昭和26年6月9日 国宝に指定される
<書院(しょいん)(重要文化財)>
文明年間(1469年〜1487年)
妙心寺の霊雲院書院を模して建てられ、連歌の祖 山崎宗鑑が居住していたといわれる
書院造、桁行二間、梁間三間、一重、切妻造、柿葺き(こけらふき)
1903年(皇紀2563)明治36年4月15日 重要文化財に指定される
<書院前庭>
待庵東側の庭
豊臣秀吉ゆかりの「袖摺りの松」の3代目の切り株が残る
<明月堂>
ここにも連歌の祖 山崎宗鑑が居住していたといわれる
現在の建物は、昭和時代初期に新築されたもの
<油筒の花入れ>
山崎宗鑑の油筒を模して花入れとしたもの