西翁院(さいおういん)は、金戒光明寺の塔頭
金戒光明寺の御影堂から西側(左側)への参道奥の永運院の奥(西側)に隣接している
<山門>
総檜造
1937年(皇紀2597)昭和12年
焼失した金戒光明寺の御影堂の残木で建立された
<本堂(書院)>
天保年間(1830年~1844年)の建立
<茶室「澱看席(よどみのせき)」(重要文化財)>
1685年(皇紀2345)貞享2年から1686年(皇紀2346)貞享3年の頃
藤村庸軒(ふじむらようけん)によって建立される
「澱看」とは、遠望できる景勝の地にあり、南の窓から淀川を眺められることで名付けられる
「淀見の茶席」とも称される
正式名称は「紫雲庵」で、金戒光明寺の山号にちなむ
藤村庸軒の号にちなみ「反古庵」とも称される
躙口の上に横長の連子窓、その上部には「澱看」の板額が掲げられている
内部は平三畳
「道安囲」「宗貞囲」とも称される仕切り壁があり、点前座と客座が隔てられている
床柱・床框・落掛には、杉材が用いられている
下地窓からは、嵯峨方面と淀川が望まれたことから、それぞれ「嵯峨見窓」「澱看窓」と称される
<庫裏>
1584年(皇紀2244)天正12年
創建時の建立
<土蔵>
天保年間(1830年~1844年)の建立
<唐門>
天保年間(1830年~1844年)の建立
<石碑「庸軒遺宝 西翁院」>
山門の前の参道に立つ
<地蔵群>
山門の前に祀られている
<阿弥陀如来>
春日局作の本尊
<藤村宗徳像>
長誉源然上人(ちょうよげんねんしょうにん)の讃がある
<藤村庸軒(ふじむらようけん)>
千宗旦の直弟子で、宗旦四天王の一人、表千家の流れをくむ庸軒流茶道の開祖
元の名は、久田当直(くぼたまさなお)で、宗徳居士の後嗣 宗佐の養子となった
「微翁」「庸軒」「反古庵」とも称した
庸軒の茶室には書院式と侘形式とをあわせ、織部の弟子 笹屋宗貞の中襖の茶室を模したことから、
茶室「宗貞囲(そうていがこい)の席」ともいわれる